第1章 冷めたコーヒー

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甘いコーヒーしか飲めない歳上の彼が好きだった。 ブラックしか飲まない実果子のコーヒーを「一口頂戴?」と言って優しい手つきでカップを取り、口にした後の彼の歪んだ眉を実果子は忘れられずにいた。 カーテンから漏れる朝日を受けながら寝息を立てている瀬戸恭也はまだ起きる気配はない。 桃山実果子はベッド脇に置いてある目覚まし時計を見た。 短針はまだ5を指している。 カチカチという音がやけに大きく聞こえる。 大学の薬学部に6年間通ったあと、国家資格を取得して薬剤師として日立総合病院に就職が決まり、24歳の春に一人暮らしを始めた。 その頃から朝の5時に起きるのが日課になっていた。 そんな生活はもう5年目を迎えていた。 目覚ましがなくても自然に目が醒めるようになっていた。 実果子は小さな溜息をついた後、恭也をちらりと見てベッドから抜け出た。 無造作に置かれてあった大きめのTシャツを着るとベッドルームを出て扉を静かに閉めた。 リビングのローテーブルに置いてあったタバコを手に取ると火を点けベランダのカーテンを開けた。 朝日が気持ちいい。 ベランダの窓を開けるとまだ少し冷たい5月の風が実果子の髪を揺らした。 髪を耳にかけタバコを燻らしながら明るくなった東の空を眺めていた。 カタンと物音が聞こえ振り向くと恭也が寝癖のついた頭をぽりぽりと掻きながら大欠伸をして実果子に近づいてきた。 「実果子さん、おはよ。早いね。」 そう言いながら後ろからお腹に手を回し、実果子の首に顔を埋めた。 「おはよう。」 実果子は一言だけ言うとタバコの煙をふーっと吐き出した。 「実果子さんのシャンプーの匂いとタバコの煙が混ざったの、俺好きだな。ねえ、俺にも一口頂戴?」 そう言って恭也は肩に顎を乗せる。 「タバコなんて吸うもんじゃないよ。未成年なんだから他にする事もっとあるでしょ。」 そう言って実果子は恭也の腕を抜け出してテーブルに置いてある灰皿にタバコを押し捨ててキッチンに向かった。 「いつまで経っても子供扱いだなぁ。」 恭也はふて腐れたような声で言いながらソファに体を埋めた。 ソファに置かれてあるクッションを抱きかかえて頭を預ける恭也を見ながら実果子はコーヒーメーカーのポットからコーヒーをカップに注いだ。 「子供でしょ?」 実果子はふっと笑いながらコーヒーの入ったマグカップをローテーブルに置いた。
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