苦くて甘い

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恭也は焦る気持ちを抑えて実果子へと歩み寄った。 駆け寄って行きたい、でも実果子の反応が怖い。 何とも言えないほどの胸のざわつき、会いたい、怖い。 色んな気持ちが恭也の中でせめぎあっていて改めて自分の気持ちに気付いた。 ー好きー 難しい事はいい。 ただ好きという感情。 それは小さい頃の初恋のようなシンプルなものに似ている。 泣いているあの子を守ってあげたい。 実果子が泣いているように見えた。 一歩、また一歩近づく距離。 ゆっくりと静かに、吸い寄せられるように。 実果子の吐き出すタバコの煙が街灯の明かりで揺らめいている。 恭也は足を止めずに実果子に近づいた。 何かを感じとったように実果子が動きを止め、ゆっくりとこちらに顔を向けた。 驚いた顔を一瞬したかと思うと直ぐに目を逸らし、諦めたようにただ前を見て微笑んでいた。 光を受ける実果子の顔はやっぱり綺麗で見惚れてしまう。 恭也は手が届きそうで届かない距離で足を止めた。 「実果子さん」 名前を呼ぶのが精一杯だった。 実果子は黙ったまま目線を宙に泳がせた。 「あの…」 なんて声をかければいいのか分からないまま何かを言おうとして言葉に詰まってしまう。 「なんで君がいるかな。もう、ほんとやだ…」 実果子は両手で顔を覆った。 「ごめんなさい。」 なんとなく恭也は謝った。 自分はここにいてはいけないんだと思った。 それでも何か出来ないか、そんな事を考えてしまう。 完全にもっていかれたようだ。 恭也は何かを思いつき 「ちょっと待っててください!」 そう言って走り出したと思うと自動販売機でコーヒーを買ってきた。 恭也が手にしていたのは甘いコーヒー。 実果子の前に立つと無言でそれを差し出した。 実果子はゆっくりと両手で受け取ると 「わたしブラックしか飲まないよ。」 と言った。 恭也は出来るだけ明るい声で 「知ってます。でも今日はなんとなくこっちの方が良いかなと思って。」 と笑顔を精一杯返した。 それにつられたのか実果子もふっと笑い 「そうね。今日は苦いのはもういらない。甘くていい。」 と言って缶を開けて一口だけ飲んだ。 「ありがとう。」 実果子は穏やかな顔で言った。 胸のざわつきや締め付けられる思いも苦くて嫌いだ。 実果子の笑った顔は全てを甘くする。 恭也はただ実果子の顔を見つめていた。
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