いなかった男

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いなかった男

天涯孤独の男がいた。まだ体は丈夫だったがかなりの高齢で、自分が亡くなったあとのことを考えた。 知人はいないし、葬式などやってもらわなくて構わない。燃やしたあとの灰は海に撒いてもらえばいい。弁護士と相談してその遺志を示す遺言状を作成するつもりであることを告げた。 それからほどなく、男の姿はどこにも見られなくなった。住んでいたアパートに朝食の支度がしてあったが手はつけられておらず、近所でも交通機関でも姿を目撃していた者はなかった。 誘拐するような相手もいそうになかったし、急な事故や病気で倒れた形跡もなかった。 アパートの管理人は代が替わり、新しい管理人は前の住人の説明を省いて新しい借り手に貸した。借り手は何も知らないまま借り、何事もないまま引っ越していった。次の住人も、その次の住人も同じだった。 弁護士は定められた期間が過ぎたらしかるべき手続きをするつもりだったが、そうなる前に彼自身が急に倒れた。 やがて彼がいたことを覚えている者はいなくなり、役所はしかるべき手続きを済ませ、公にも私にも彼は存在しないことになった。 それが彼が望んだ形だったのかどうか、わかる者はいない。
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