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そしてもう一人、赤司に背を向けて、静かに、淀みなくキーボードの上で手を滑らせているのは、悠木碧羽。長く艶やかな濡れ羽色の髪を邪魔にならないように適当にゴムで結い上げた彼女は、まっすぐに背筋を伸ばしてパソコンに向かう。モニタにはパソコンにプリインストールされている辞書アプリと、そして赤司と同じようにテキストエディタが開かれていた。一点、赤司のそれと違いがあるとすれば、そのテキストエディタは、碧羽が降らせる言葉の奔流を受けて、忙しなく文字を上へ上へと送り続けいていることだろうか。時の経過と同期するように、画面上に浮かぶ上がる文字が、新しい文字によって洗い流されて行く。それは車窓から見る景色に近いものであるのかもしれない。電車の窓から眺める景色は遠景を見れば、大きな変化は起こらない。だが、確かに刻一刻と見る位置が変わり、角度が変わり、その瞬間の光景とは一期一会の関係性しか持たないのだ。彼女の手
が止まらない限り、ウィンドウ内では物語は流れ続け、止まることを知らず、その景色を変遷させ続ける。
時の経過を告げるように西の空を赤く燃やす太陽の光が部屋に差し込む。西向きの窓を持つこの部屋での活動は、大抵が日没までだ。ふと、窓の外をみた赤司は、地平線に触れる太陽をみて、今日という日が終わりの一歩手前にまで迫っていることを認識する。
そうしてテキストから赤司が意識を逸らすのを待っていたかのように、突然、パソコンの上でおとなしくしていたスマートフォンが、構ってくれと駄々をこねるように震えた。興味を惹かれた、という訳でもない様子で、事務的に、機械的に、赤司はスマートフォンを拾い上げて、身を震わせて伝える主張の内容を探る。
「今度は何?」
碧羽が振り返ることも、手を止めることもせず、言葉だけを赤司に放る。
「投稿サイトの通知です。読んでいる小説の新しい投稿があったみたいです」
赤司もスマートフォンをいじりながら、淡々と言葉を返す。と、そこで気づいたように振り返った。
「今度はって何ですか」
「十五分に一回はスマホ触ってるじゃない。彼女からの連絡待ちでやきもきしてるウジウジ系男子みたいよ」
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