第一章 自我と欲望

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 あの後も、ほとんど無駄な話し合いが延々と続いて、帰る頃には二十時くらいになっていた。今日は塾のアルバイトが入っていなくてよかった。  バイトのために早抜けしようものなら、明日以降、陰険な嫌がらせを受けていただろう。まあ、あの話し合いが嫌がらせといえば、そうかもしれないけど。  帰り道、ほとんど無言のまま休場と歩き続けた。駅前の大通りをい抜けて、ネオンの光から遠ざかっていくと、静かな住宅街に出る。この落ち着きを思い出したかのうような街並みの中に、僕らが住んでいる学生寮はある。  遠くからでも、玄関に明かりが点いているのが見えた。  ガラガラガラと、 薄いわりに立て付けの悪い扉を開けると、「おっかえりー!」と小春が自室から顔を出す。その後ろから、紫藤さんがこちらを覗いて出迎えてくれているのが見えた。 「どうだった? 褒められた?」 「この顔を見て、褒められたと思えるの?」 「いつもそんな顔じゃん」 「そうか、いつも通りのイケメンがでちゃったか。疲労をおくびにも出さない格好良さが」  小春はわざとらしく、大きなため息を吐いた。 「小春さんが言っているのは、いつもお猿さんは人生に絶望したサラリーマンみたいな顔をしてるってことだと思いますよ」  僕を「お猿さん」なんて呼ぶのは紫藤舞華だけだ。猿渡虎太郎だから、猿。これを悪気なく言ってくるのだから、いつも僕の自尊心は芝刈り機に散らされたタンポポのように粉々になって吹き飛ぶ。 「とにかく、今年も強制換金勉強会をすることになったから」 「嫌」 「誰だって嫌だって。ってか、束縛されるのが嫌なんだったら、勉強しとけば良かっただろう?」 「私、そんなに成績悪くないよ」 「悪かったんだよ」 「何で私の点数知ってんの? もしかして部屋あさった? わたりん、いくら男子大学生の性欲が強くても、犯罪に手を出しちゃ駄目だよ。人間として失格。もう、今回だけだからね、許してあげるのは」 「ちょっと待って。勝手に僕を犯罪者予備軍にしないで」 「お猿さん。さすがにそれは、予備軍ではなくて・・・・・・」 「分かった。分かったからね、僕の話を聴こう?」  不気味な物を見るような目で眺めてくる二人をなだめていると、隣の休場さんも一歩引いて僕を見ていた。  ちょっと、あなたはこっちの事情、知っているじゃないですか!
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