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第一章 自我と欲望
小坂小春という霊長類ヒト科に属する生物は西武新宿線本川越駅周囲に生息し、一ヶ月に一回のダイエットを習性としている。駅前の家電用品店がセールを始めると急速にやつれ、セールが終わる頃までには少し太っているのだ。
昆虫並みの変態速度である。
いつも一緒にいる僕ですら、どのシェイプが小春のデフォルトなのかは分からず、三角関数のように揺れ動く姿の平均を、暫定的に小春の本来の姿ということにして納得している。
長い間暗い地面の下で休んでいた蝉たちが重い腰を上げ、緑豊かな樹木に登り始めた六月の始め、僕――猿渡虎太郎、川越医大の三年生――と小春は、いつも通り大学に併設されている食堂に来ていた。
食堂はよくあるような無機質な真っ白い空間の一部にアルミ製の窓が開いている構造で、入り口で購入した食券をお盆にのせて進んでいくと窓からおばちゃんたちが流れ作業で食べ物を載せてくれる。
工場で量産される車にでもなった気分である。
こんな効率重視の無個性な給仕でも、自己主張の激しい人間は個性を見せる。
野菜にドレッシングを二種類かけたり、ごはんに塩を振りまいたり、塩分を気にして味噌汁を取らなかったり。
百人いれば百通りの日替わり定食Aが存在する。だから小春のような社会からの脱線を厭わないどころか、常識からの逸脱を楽しむような人間が、普通の日替わり定食Aを手にするわけがない。
いつも小春は薄いベージュの布製のリュックから、ふりかけやらお茶漬けやらを取り出し、高そうな黒っぽいドレッシングを野菜に浸して、ちょっとお洒落なランチメニューに仕立て上げている。
時折その味付けは調理のレベルに達し、食堂のおばちゃん達が気の毒になる。まるで、不味いと主張しているようで。だから代わりに僕は、敢えてなにも加えず何も引かず、ありのままの日替わり定食Aを食べる。
充分に美味しいと思うんだけどね。
だけど、今日の小春の違い方はひと味違った。日替わり定食のご飯を取らず、野菜にドレッシングをかけず、鎌倉時代の武士かと思うような質素な食卓を形成したんだ。どうやらまた、無駄な抵抗を始めたらしい。
そういえば最近、電子レンジの調子が悪い。今日の帰りにでも電機屋に寄っていくとしよう。
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