マンホール・ガールの体温

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 Tシャツとパンツで帰るか、女装をするかの二択で、僕は後者を選んだ。死ぬほど屈辱的なのと、死にたくなるくらい屈辱的なのと、大差はなかったけれど。  幸い暗くなるのが早い季節になっていたのと、雨のおかげで、マンホール少女の言うステルスは最大に効果を上げ、誰にも見つかることなくここまで来られた。涙も、流れる雨のおかげで見て見ぬ振りができた。ただ、このまま家に帰ることだけは、どうしてもできなかった。 「楽しくは、ない。いっそ気配を消すのをやめてみんなに見られて、可哀想な変態だと思われた方が楽かもしれない」 「それは、傘どころじゃないわね」  乾いた声でそう言う彼女を見ると、僕に向かって手招きをしていた。 「……なに?」 「ここへ入らない? 落ち着くから」  僕らの目が合う。彼女の瞳の色には、見覚えがあった。考えるまでもなく、毎日鏡を見るたびに、僕の目に浮かぶ、言葉にならない感情の揺らぎの色だった。  ステルスなんて技術を身に着ける人間が、楽しく人生を送っているはずがない。彼女も、きっとなにか、辛い思いをしている。そして、どうやら同類らしい僕に、手を差し伸べている。……たぶん。 「いいの?」 「二人くらいならいけると思う」  僕は、彼女の隣に身を滑り込ませた。マンホールの中にはハシゴ状の鉄の取っ手があり、それを二人でつかむ格好になる。  足元では、増水した下水が激しい音を立てていた。落ちればひとたまりもないだろうに、彼女の言うとおり、暗く細い竪穴は、妙に僕の気分を落ち着かせた。  僕らの肩が軽く触れた。彼女の体温がかすかに伝わる。乾いた服を着ているより、冷たい雨に濡れている方が、温かさが伝わりやすいというのが不思議だった。  温もりは、肩先から腕へ、胸へ、穏やかに広がっていく。腹のあたりが温まり、僕は今さら、自分が空腹だということに気づいた。雨に打たれて冷え切っていた足にも感覚が戻る。人形に血を巡らせて人間にしたら、こんな感覚を味わうんじゃないだろうか。  こっそりと横を見た。彼女の横顔の輪郭は、きれいな線を描いて整っていた。呼吸の音が少し聞こえる。触れている肩と同じくらいの温度だろう、吐息の気配。  熱を得た胸が、急に高鳴り始めた。 「どう?」 「ど、どうって!?」  いきなり挙動不審になった僕に、彼女は首をかしげた。
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