マンホール・ガールの屈辱の部屋

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マンホール・ガールの屈辱の部屋

「さよなら、石田君」 「うん……さよなら」  か細いシルエットの後ろ姿は、夕闇に向かって歩き出した。  連絡先とかって、聞いていいものなのかな。そうは思っても、聞くことはできない。そういえば、学年すら知らないままだ。  僕も立ち上がると、ズボンを払って歩き出した。あっという間に空は暮れてくる。  一人で歩きながら、後ろ髪を引かれる思いはぬぐえなかった。  レイナの、弱弱しい横顔が脳裏に浮かぶ。本当に放っておいていいのか。でも、これ以上踏み込んでいいものなのか。僕らは多少心を許していても、まだ、他人同士だ。友達でも何でもない。  駅が見えてきた。脇の踏切を通り過ぎれば、二十分も歩けば家につく。いいのか、帰ってしまって。  ――頑張ってみる。  ――私は、学校にも家にも、行きたくない。  行きたくない? 帰りたくないじゃなくて……?  気がついたときには、引き返していた。ほとんど走りながら、さっきの公園を通り過ぎる。  家は、どのあたりだって言ったっけ。確かアパートだって言っていたな。  それらしき建物に見当をつけて、表札を片っ端から見て行った。最近は表札を出さない家庭も多いので、この探し方ではだめかもしれないけれど、他に手がない。  三件目のアパートに近づいた時、その二階から、大きな音がした。続いて、男の怒声。  僕は、スチール製の朽ちかけた階段を駆け上がった。手近な部屋の表札を見る。西坂。あった。胸中で快哉をあげる。しかしそのとき、さらに罵声と何かの衝突音が部屋の中から聞こえた。  少しためらって、でも決意して、ドアを開けた。何かの間違いなら、必死で謝ろう。  ドアの向こうは、すぐにキッチンと、八畳ほどの居間になっていた。  むっとするほどの酒の匂い。  部屋の真ん中には、白い肌着とだらしないズボンをはいた中年男が座っている。「ああ、どこ行った」とかなんとか、うめきながら。
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