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やがて彼女が緩々の私服に着替えて店から出て来た。シフトが終わる時間なのだ。
これを待っていた。
私は吸っていたタバコをアスファルトに捨てて、靴で揉み消した。じゅわりと最後に良い香りが漂う。
そして電柱の陰から彼女の背中に目をやった。小柄な肩線がとても美しい背中。ここから約八メートル。
丁度良い。
そろそろ追いかけよう。
私は忍ぶように歩き出す。
深夜の住宅街というものは案外静かなもので、どこからか赤子の鳴き声が聞こえてくる以外には特にこれといって音がしない。
私が大嫌いな鈴虫が石塀の向こうで鳴いているのが癪に障るが、まぁ問題にはならない。
彼女の綺麗な首筋は少し傾いていて、携帯を片手に気取りもせず歩いていく。
あぁ、この角道だ。
この路地で彼女はいつも左に曲がる。その向こうに彼女の住む六階建てのマンションがあるのだから。
だが変なことが起こった。
彼女はその辻道で立ち止まって、それから辺りを見渡した。
その不可思議な行動のために私はまるで野良犬のように近くの石塀に隠れ、できるだけ息を潜めねばならなかった。
街灯の蛍光灯の下で彼女は誰もいない事を確認すると、その色白い顔をまた携帯に落とし、路地を右に曲がった。
家に帰るのではなさそうだ。
私は石塀の隙間から生える雑草に隠れたまま、自分の腕時計に視線を落とす。
心臓の脈を打つ速度が上がった。
午前二時。
今までこんなことはなかった。
どうする?
いや、どうするもなにも。
私は彼女を追いかけねばならない。
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