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「一転止界……風雨停持……」
先程までぐるりと囲むように配された12本の蝋燭の炎も、彼女の呪いが口から洩れるに従い、僅かな空気の流れに合わせて揺れていたのが、だんだんとまっすぐ立って微動だにしなくなる。
そっと袖の広い狩衣の裾で燈明を触れても、衣が焦げる事もないし、火が消えることもない。
「東一様。ご準備ができました」
女は顔を上げると、アルミ板で作られた壁に向かって声をかけた。
「ようし、いいタイミングだ」
その声が座席の真後ろからか細く届くと、東一と呼ばれた男はにわかに背もたれから身体を起こして、手元にささっていた鍵を握りこみ、ぐるりと回転させた。すると真っ暗だった男の座席周りがLEDの灯りが浮かび上がり、それと同時に座席の下に配されたエンジンが小刻みに振動を座席に伝えた。
ここは車の運転席。
フロントガラスから覗く世界は暗褐色の道路がまっすぐ伸び、灰色の建物がその両脇を飾るという、どこにでもあるような町の風景だ。
ただ一つ、女が合図と出す前と違っているのは。
トラックの真横で点滅していた歩行者用信号灯が、そのまま青のままになっているということだ。
暑い夏の夜だ。道路を照らす外灯には、光に集まる虫がチラチラと飛び交っているのが見えていたが、それも今はない。
全ての、トラック以外のものの、動きが止まっているのだ。
そんな異常な世界の中で、ぼんやりと明かりが移動しているのが見える。
「来た来た。夕霞。送り出すぞ」
「あい畏まりました」
独り言のように言った東一の言葉に、やはり座席の後ろ、トラックのコンテナから返事が返ってくる。
その間も東一は爛々とした目で外で唯一動く明かりを見つめ続けていた。
青い光はスマートフォンの灯り。その明かりに照らされて、まるで幽霊のような生気のない男の顔がぼんやりと浮かぶ。彼は周囲の状況をたまに目線だけあげてちらりと確認する程度であり、この世界の本質的な変化。時間が停止している事にはまるで気づいていないようであった。
そんな彼を視界の中心にとらえながら、普通のトラックには無い奇妙な文字が刻まれたボタンを東一は押し、そして高らかに歌う。
「天沼鉾に生み出されし、遥かミカボシの要請に応え、我は今、声を上げたり。彼の者『勇者』として救いの御手とならんことを」
交差点の上空に巨大な魔法陣が浮かびあがる。
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