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ここで一つ疑問となるのが,有性生殖における配偶子が,生物ではない「無生物」なのに,どうして受精すると「生物」になるのかというものである。
受精することで,染色体が揃い,細胞分裂が可能になって発生が始まる。そして,様々な細胞へ分化してその生物を形作る。だが,受精前は生物ではない。非常に奇妙な話である。
生きている(=生命である)ことは,生物であることの必要条件ではあるかもしれないが,必要十分条件ではないのではないか。
私の研究は,ここに端を発している。
配偶子は紛れもなく,生きている。つまり,生命である。
エネルギーを有していて,活動限界もある。精子はその形状や運動の性質からわかりやすいと思うが,永遠に動き続けることはない。「死ぬ」のである。
生物ではないのに「死ぬ」。これは生命体であることを裏付けているのではないのだろうか。
決して能動的なものではないが,これはウィルスにも言えることかもしれない。適合する生体に取りつけば,細胞内に自身の遺伝情報を侵入させ,その生物の複製機能をちゃっかりと利用して自己の遺伝情報どころか生体膜を構成するための材料までも作ってしまう。
また,体細胞の中にも奇妙な存在がある。ミトコンドリアである。
ミトコンドリアはエネルギーを生み出す重要な器官でありながら,独自のDNAを持っている。
生物の定義のうちの「代謝」の一部を担っている細胞小器官が,独自の遺伝情報,つまり生物の定義のうちの「自己複製」に関する情報を持っていることになる。
しかし,ミトコンドリアが体細胞から独立して生存することは出来ない。「生物」ではないのだ。
当初,エネルギー(特にATPの生成と解離)が生命であることと密接にかかわっているかもしれないと,私は考えた。
しかし,それではウィルスがエネルギーを用いないにもかかわらず,自己の複製を行うために必要な構造を備えていることは理不尽なままになるし,エネルギーだけが存在しても,それを利用できる仕組みが無ければ生命活動は成立しない。
エネルギーが生命たりうるものなのであれば,私の目の前にあるこのパソコンも電気エネルギーという生命体で動いているし,自動車はガソリンが燃焼したときに発生する生命体で動いていることになる。
発電所では,タービンが回る度に大量の生命体が生成されることになる。
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