光秀を誘う秀吉

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 明智日向守光秀は何度も辺りを見回してから茶室に向かった。 「日向守様、お待ちしておりました。筑前守殿はもう中でお待ちですよ」  千宗易が丁寧にお辞儀する。織田信長の茶頭を務めるこの男は後に 千利休と呼ばれ、独自の芸術的センスで茶道の歴史にその名を残す 「茶聖」となる。 「誰にも知られてはいないだろうな」 「はい、その点は御安心下さい」 「そうか」  光秀は宗易と目を合わせないように目を伏せて歩く。物静かだが 時々猛禽類が獲物を狩る時の様な鋭い眼光を放つ茶の湯の達人に 心の中まで見透かされる気がした。 だがこの時宗易が見ていたのは光秀の足元だった。昨夜の雨で しっとりと濡れた地面。最初の三歩までは石の上を歩いていたが、 四歩目からはぬかるんだ土に光秀の足跡が残った。 「やあやあ、よく来て下された」  茶室に入るやいなや羽柴筑前守秀吉の大声がした。お調子者らしい 明るい声。だが光秀の耳にはジジッと妙な雑音が混じって聴こえる声。 その明るさに抗う様に、 「遅れて申し訳無い」  わざとぶっきら棒に返す。元々織田家に仕える前は名門斯波家に 仕え、将軍家や公家との付き合いも多かった。そんな光秀にとって、 作法は守るのが当然のルールであり、茶室だろうと構わず大きな声を 出す秀吉を心の中で軽蔑していた。  光秀はお調子者の顔を見た。痩せて貧相な顔はニコニコと笑顔だが その目は笑っていない。これが織田家家臣団の中でメキメキと頭角を 現した切れ者の顔かと思うと反吐が出た。  正座をして心を鎮めようと目を閉じる。その側で宗易が茶を点て始めた。 秀吉が先程よりは小さな声で語り掛ける。 「日向守殿、上様と二人でお会いになられたそうですね」 「……」 「私は今毛利との戦いに専念していますが、上様がまた新たな合戦を  計画されていると聞いて仰天しています。それでなくとも北陸の上杉  とも敵対している中で、3つ同時に強敵と闘うのは織田家にとって  大きな負担となります」 「……」
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