吠える元春

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 黒田官兵衛が帰った後、毛利家の重鎮達が和議について喧々諤々の議論を 始めた。最初は吉川元春を筆頭に断固戦う派が主流だったが、日にちが変わる 頃から徐々に和議受け入れ派が増えて行き、まったくの五分となった。 小早川隆景は会議には参加したものの、重鎮達の意見を聞くだけで自分の 意見は一言も発しなかった。  和議受け入れ派の中でも「清水宗治の切腹」に難色を示す者が多かった。 「毛利の為に落城を踏み止まって闘う清水宗治を切腹させれば、末代まで  毛利は冷淡だと語り継がれる。和議は賛成だが、宗治切腹の条件は  変更してもらってはどうか?」  重鎮の一人、桂広繁の意見で羽柴軍に条件変更希望の使者を送ったが、 秀吉の返事は「切腹は絶対条件」だった。なぜ秀吉が宗治の切腹に拘るのか 誰も理解出来なかったが、その理由は後に知ることになる。  返答期限の5月23日になっても意見は纏まらなかった。毛利輝元は重鎮達 と最後の会議を開いた。ここでも吉川元春は和議絶対反対を唱える。輝元は 一通り重鎮達の意見を聞いた後、これまでずっと黙っていた小早川隆景に 意見を求めた。 「では申し上げます。今毛利は領地を侵略され存亡の危機にあります。  仮に秀吉を退けてもまた次々と織田軍が押し寄せ、いずれ毛利は滅亡と  なるでしょう。  しかし黒田孝高はもうすぐ信長が死ぬと断言しました。その言葉は恐らく  本当だと思います。羽柴秀吉が次の天下人となるでしょう。ここで秀吉と  和議を結び毛利の旗を貸すことは秀吉に大きな恩を売ることになります。  清水宗治を助けてやれないことは断腸の思いですが、毛利家の将来の為と  知れば、宗治もきっと判ってくれるでしょう。私は和議を強く勧めます」  隆景の言葉に、揺れに揺れていた輝元の心がついに決まった。 「皆の意見を聞いて私の心は決まった。羽柴秀吉と和議を結ぶ!」  こうして羽柴軍と毛利軍は密かに和議を結んだ。  和議が決まると秀吉の動きは早かった。3万の軍勢のうち宇喜多軍1万を 備中高松に残して姫路城へと退却を始めた。この時秀吉は宇喜多忠家を 呼んでこう厳命した。 「良いか、清水宗治の切腹は必ず来月4日まで待て。高松城が開城したら  堰を切ってすぐに備前に戻れ。判ったな」 「はい、判りました」
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