〈森の中〉

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「ママぁ……」 「好き嫌いはダメよ?」 「せ、せめて火を通して……」 「あらあら、またなの?  しょうがないぼうや。  獲物を焦がしてから食べるだなんて、ホントどこで覚えたのかしらね」  川魚は生食はダメなんすよマミー。寄生中がヤバイんすよマミー。  “話しても埒のない”それらの事は心の中で呟くとして、俺の懇願に彼女は容易く折れてその巨大魚を湖の縁辺に持っていった。  そして再び地面に置くと、息を吸い込んでからぼうっと口から炎を吐き出す。絶妙な加減で、俺の朝ごはんをグリルしてくれた。  味的には鰻(うなぎ)に近い。蒲焼のタレが欲しくなるね。  そんな俺を、ママンは微笑ましそうに眺めてくる。はっきり言って超絶過保護に溺愛してくるのだった。  さて、ここらで、俺の今の状態を話しておこう。  まず俺が生きているこの場所、この惑星はおそらく地球ではない。太陽は一つだが、月は“三つ”あるという天体配置でそれが知れた。  有り体に言えば異世界ってやつ。そしてそこに転生した訳だ。  ただ、厄介な事柄がいくつかある。  一つに、俺が人間でなくなってしまった事。  はじめ、幾重もの薄い膜に包まれたように意識はぼんやりとしていた。それが一枚ずつ剥がれていって、ようやく自我と呼べる物が現れた。  そこで自分のその肉体に否定できない違和感を覚えた。  今でこそ特に不自由はないが、最初は翼や尻尾の動かし方、獣のように四足で行動する事に難儀したもんだ。  もう一つは、人間であった筈なのに、その人間であった時の記憶を失っているという事。  記憶が無い――  いいや、断片的にはそれらの記憶はあった。  電車の窓から見ていた変わり映えのない町の景色。好んで聴いていた曲のメロディ。行き付けの定食屋の味付け。毎週欠かさずチェックしていた漫画の展開。ビルの屋上から眺めた夕日の、あの網膜にやきつく鮮やかさ。  そんな風な物なら、ちゃんと憶えている。  小学校、中学校、高校、大学、就職――  それらの流れは記憶している。だけど、その細部がまるで存在しない。  家族や友人がいた事は判る。  けれど、その彼らの顔と声と名前がどこをどう探しても見当たらない。  誰かと過ごしてきた事は知ってる。  なのに、誰とどう過ごしてきたかは判らない。  俺の頭の中は、そんな何とも表現し難い按配(あんばい)なのだ。
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