第1章 ジャン=アルマンス

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「俺、15になったらこの村を出て騎士団に入る」 俺の発言にゆっくりと頷いたのは老齢な男性だった。 祖父であるリチャードは自分の孫がいつかそういうだろう、と予想していたんだろう。 そして、立ち上がるとベッドの枕もとに置いてあった袋を俺に手渡した。 それを受け取ると、かなりの重みがあり中にはたくさんのコインが入っていた。 「じいちゃん、これ」 「持っていきなさい。旅費ぐらいにはなるだろう」 村から騎士団領のある場所まで、一週間ぐらいの船旅になる。 旅費だけでかなりの出費だ。決して裕福と言うわけではないのに俺のためにリチャードは少しづつお金を貯めてくれていたのだ。 リチャードの洋服はつぎはぎだらけで、俺の着れなくなった洋服も肘の部分に充てられていた。 家の中の家財品が少しづつなくなっていたのはこのためだったのか、と俺はその時、ようやく会得した。 リチャードを抱きしめ、ありがとう、と心からお礼を言った。 「俺、強くなる。じいちゃんも、この村も守れるように、強さを学んでこの村に自警団を作るよ」 小さな村には騎士団の騎士は配属されない。 ここにも一応、というぐらいの自警団はあるのだが、所詮村の中で若い者たちが自分たちの仕事と兼任で片手間程度でやっているぐらいなものだった。 その中では誰も武術に秀でたものはいなかった。 だから、だからこそ、この村を守れる力が欲しかった。 「そうか、アルベルトも騎士団に入団すると言っていたからな。 お前たちは昔から何をするにも一緒だったから」 アルベルトは昔からの友人だ。 アルベルト=カルシュトルク。 見た目はそれこそ絵本に出てくる王子様のような整った容姿で性格もよい。 穏やかで誰にでも優しいアルベルトはやはり女性から圧倒的に人気があった。 それはそうであろう。童話に出てくる王子様を具現化したかのような人間がそこにいるのだから。 隣村やほかの国からもアルベルト見たさに人が来るぐらいに有名だった。 だが俺はアルベルトの性格を知っているからか、そんな女性たちを冷めた目で見ていた。 アルベルトは誰よりも好戦的だ。俺より余程。 いつだったか、あれは俺達がまだ少年といえるぐらいに幼いころ、アルベルトは村の学校でも有名な暴れん坊であるディーダをいきなり殴ったのだ。 誰かの息をのむ音が聞こえるほど、教室内は静寂に包まれた。 身体が大きく村長の息子ということもありいつも威張っており、それだけならいいが、村という閉ざされた小さな共同体で過ごすことに鬱憤を感じていたのか、成長するたびに周りへの暴力行為が増えていった。 ディーダの側でクラスの中でも気の弱い少年が泣いていた。それを見て俺達はなにがあったのか なんとなく想像できた。そしてアルベルトのしたことが起こるべくして起こったこと、ということも理解できた。 ディーダをアルベルトは無言で殴った。重いのを一発。脂肪で覆われた頬に叩き込んだのだ。 見た目に反して力のあるアルベルトに吹っ飛ばされて全治一週間のけがをしてしまった相手にアルベルトの叔母が頭を下げに行ったらしい。 だが相手の両親はむしろアルベルトに感謝の意を表したそうだ。 いつも威張って人のものを盗ったり暴力をふるっていたりしていた息子が大人しくなった、と。 そして教室で泣いていた少年もアルベルトに感謝していた。 ディーダから捕られた本を取り返してくれてありがとう、と。 だがアルベルトはしれっと言った。 「相手はの笑い声がうるさかったから手が出てしまったんだ。 ディーダが大人しく殴られてくれてよかった」と。 泣いていた彼はポカンとしていたが、やがて笑ってお礼を言って帰って行った。 アルベルトはお礼されるようなこと、俺はしてないのに、とぼそりと言っていた。 素直じゃない男だが、ちらりと覗き見たその顔は少しだけ笑っていた。 それから俺はアルベルトと一緒によく遊んだりした。 俺から見たアルベルトの第一印象はすかした奴、ただそれだけだった。 しかし思った以上に俺とアルベルトはよく似ていた。 見た目や雰囲気はそれこそ正反対と言ってもいいぐらい違っていたが、 性質やものの考えかたなどは驚くほど酷似していた。 周りから兄弟のようだね、と言われたのもあってか、俺とアルベルトはいつも一緒に行動した。 それこそ悪いことも一緒にやり、よくリチャードやアルベルトの叔母さんに叱られていた。 ある時、魔物退治に行ってくると言って勇んで出掛けたジャンとアルベルトは散々たる姿で帰ってきた。 魔物にやられたのではなく、魔物に会わずして負った傷。 俺は崖から落ちた。 怪我を負った俺を担いだアルベルトはぼろぼろと大粒の涙をこぼし、必死に元来た道を戻り、村中に聞こえるような大声で助けてと叫んだ。 見た目のわりに怪我は軽傷だったのだろう、傷はみるみるうちに回復していった。 こってり絞られ、たくさんの人間に囲まれながら温かいご飯を 掻き込む俺達に、大人たちは安心したようにその様子を見守っていた。 「あのアルベルト坊やがなあ」 遠い目をする祖父に俺は苦笑した。 「アルベルトはあれからすごい強くなったんだ。俺の傷ついた姿がよほどトラウマになったみたいでさ」 それから何処へ行くにもアルベルトはついてきた。 崖から落ちた俺の姿がトラウマにでもなったらしい。 怪我をしないように見張っているのだと言うのだ。 思いのほかアルベルトが過保護すぎて俺は心底うんざりしたのだ。 だけどその時からかな、アルベルトの口の悪さが嘘のようになくなったのは。 思ったことをそのまま口に出していたアルベルトは、今はすっかりなりを顰めている。 そんなだから猶更女性にもてるようになったのは言うまでもないだろう。 「隣町の剣術大会も俺が一位でアルベルトが二位。俺たちよりでかいやつらだって敵じゃねえよ」 そう言た俺にリチャードは目を細めてうなずくも、だが、と否定の言葉をつづけた。 「世界にはもっと強いものがいる。魔物だけでなく悪意を持った人間だって。ジャン、剣の腕を鍛えるのもいいが、心も強くなければいずれ倒れてしまう。それを忘れてはいけないよ」 リチャードの言葉に俺がしっかり頷くと、目尻を緩ませ幼子にするかのように頭を撫でられた。 「寂しくなるが私のことは心配しなくてもいい。  なあに、村の人間はおせっかいだからな。一人になりたいと言っても一人にさせてくれないだろう」 できることなら一緒に、リチャードを騎士団領に連れて行きたかった。 年老いた家族を独りにすることも心配だったが、自分のいないうちにいなくなってしまったら、と思うともの凄く怖かったのだ。 俺の父母は俺が赤子の時に戦争で亡くなったとリチャードに聞かされた。 リチャードの妻であったアンナも村が襲われてから何日か後に俺達に見守られるなか亡くなった。 だから、俺はなるべくリチャードと一緒にいたかったのだ。 たった一人の家族なのだから。 だけど俺の気持ちを知ったリチャードが首を縦に振ることはなかった。 結果はわかっていたんだ。彼がこの村やこの村の人たちを愛していることを。 長年いたこの場所には彼の知り合いや友人がたくさんいる。 きっとここにいた方が幸せだろう。 「じいちゃん、久しぶりに一緒に寝よう」 俺の言葉に祖父は穏やかに微笑んだ。 そして一冊の本を本棚から取り出し膝の上に置いた。 「昔みたいに絵本でも読んでやろう。 騎士様の話を書いた本、好きだったろう?」 その絵本は緑の宝玉をもつ騎士が魔物を退治し、囚われのお姫様を 助け出す内容のものだった。 その姿は村を守ったあの聖騎士と重なり、多少ご都合主義な展開はいなめなかったが、それでも俺はこの話が大好きだった。 「いや、今日はじいちゃんに俺が読んでやる。 最後まで寝るなよ」 リチャードは物語が終わるその時まで笑っていた。 俺は泣くのを堪えて、鼻声になりながらもその物語の終わりを紡いでいった。
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