いつのまにか

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「今、駅前の現場にいて、そこ現場事務所があるから持ってきて欲しいんですが」  電話の向こうの声の主は、やや焦った口調だったけれど、尚かつクライアントらしい丁寧な口調だった。工事現場の音がする。喋っている彼の声がうまく聞き取れない。 「えっと、持っていってもいいのですが、駅前のどのあたりですかぁ?」  駅前は広いし、東や、西もある。 「東の方、えっと、ホルモンや、知ってます。少し裏道に入ったあたりの」  がちゃん、がちゃん、電話の向こうはあたしには別世界に感じる。必死で喋っている、彼。  まだ、顔も見たことのない人。  名刺の肩書きには 【一級建築士】 【一級施工管理技士】 【宅地建物取引士】  と書いてある。名前の隣には代表取締役だ。建築関係だということは承知だったが、最近、この名刺の本人が独立をしたのだ。名前だけは知っていた。事実、今まであたしが彼のいた会社の名刺を作成しいたのだから。独立にあたりやはり慣れた人がいいからという彼の意見という名のご指名であたしが命名されたのだ。勤続10年目の独立。しかし、10年も名前を知っておきながら、敢えてここであうなんて思ってもいないことだった。 (どんな人なんだろう?) (緊張するぅ) 「あ、はい。わかります。ではそこに」  数分のやり取りだった。午後5時にホルモンやの前で落ち合うことになった。    あたしは小さなデザイン事務所に勤務している、デザイン力のないデザイナーだ。名刺全般だけは一任されている。 「社長、午後から、村田さんに名刺渡してきますね」  社長はこれでもか、と言わんばかりにお腹が出ている。お腹をさすりながら、 「ああ、村田くんね。っと、独立祝いにこれ持っていって」  おもむろに、ポケットから茶色の封筒を取り出し、あたしの手に渡した。ずっしりと、重たく、ない!  軽い。なにかのチケット? あたしは、いけないなと思いつつも窓の方に封筒を透かして中身を確認しようとした。 「商品券だよ」  クツクツ。社長は今度はあごひげをさすりながら、笑った。 「え、いやぁ、そのぅ」  あたしは頭を掻きながら頬に朱をさし、やはりクツクツと笑った。 「村田くんはね、いろおとこだからね。美緒ちゃん気をつけて」  いろおとこだからね。  今時、いろおとこなどという男は社長だけですよ。  あたしはさらに肩をすくめた。
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