まがいものにも福はあり

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「どうしたの、これ」 「うん、まあ、俺辞めるしさ」 「は?」 「辞めるんだわ、あと1ヶ月くらいで。だから、ちょいちょい片付けておかないとな」 視線をディスプレイから動かさない同僚は、指先だけを高速で動かす。 相変わらず、綺麗なコードを書く。書いたものだけなら、いつもうっとりするほどだ。 それ以外は、てんで話にならない。セキュリティの観点から整理整頓されつくしたオフィスに、治外法権の物だらけのデスク。休日だからか、いつもよりさらに飛び跳ねた髪の毛に無精ひげ。3年前に流行ったシャツ。足元はスニーカー。キーボードと両腕で囲われたデスクで唯一のセーフエリアには、透明のセロファンにくるまれた一口チョコが無数に転がっている。 「んで、お前さんは?」 この人のこういう言い方とか、だらしなくお菓子を食べながら仕事することとか、それでいて私より断然仕事できる上に、余裕もないのにいつも気にかけてくれることとか、大嫌いだった。TPOに合った話し方に服装をし、食べるものにも気を遣い、周囲の評価ばかりを気にしていたあの人とは大違い。たとえ、あの清潔感が奥さんに与えられたものであったとしても。 「私は……私も、そろそろ」 そろそろ考えよう。 業界の好況に反して伸び悩む会社、女には先のない社内。出て行きたくなる私の後ろ髪を引っ張っていたのは、あの人だ。 あの人とも、先はない。見切りをつけるのは、今日なのかもしれない。 そう思ったら、指先に引っ掛けていた小さな紙袋が、やたら重たくなった。
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