第2章

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 銀座の中央通りから幾筋外れた路地にあるレトロな出で立ちの洋館。赤レンガのモダンな建物は、エステやヘアサロン、ブティックやレストランを併せた小規模な商業施設になっている。その地下にあるBAR【パテカトル】は建物の正面玄関から入ることはできない。上層にある店舗とは営業時間が大幅に異なることもあり、入口は建物の裏口の目立たない場所にあった。  ゆったりとしたジャズが流れる店内は、外からは想像できない程に広い。間接照明で照らされた淡い橙色の空間は、さながら大人の隠れ家といった雰囲気だ。店内の端にありながら、圧倒的な存在感を醸し出す黒大理石のカウンター。その背後の棚には、ハードリカーを中心に千種以上のボトルが並び、来客の心を躍らせる。そこが篠のテリトリーだ。Yシャツに黒い蝶ネクタイを着け、黒のベストと黒のズボン。フォーマルな制服に身を包み、篠は毎晩ここでお客に酒を提供する。カウンターの座席は十席だが、バーテンダーは常時二名。篠の横では二年先輩の田辺が、カウンターの端に座る女性客と談笑していた。  終電を過ぎてしまった今の時間は、客足はだいぶひいていたが、それでも平日にもかかわらずテーブル席は半分以上埋まっていた。  篠が初めて一ノ瀬に出会い、半ば強引に一夜を共にしたのは先週。行為のあと篠は、眠る男を置き去りにしてホテルを出た。メモ一つ残していかなかった。連絡先も交換していない。けれど篠にはある確信があった。 「いらっしゃいませ」  不意に長身の男が、フロアスタッフに連れられてカウンター席へとやってくる。 やっぱり来たか。そんな言葉はおくびにも出さず、篠は控え目な笑みを浮かべ腰を折る。チャコールグレーのスーツは、初めて会った夜に着ていた物とは異なるが、しっくりと男の体に馴染んでその魅力を引き立てている。一ノ瀬は篠を見て一瞬何か言いたそうな顔をしたが、行儀よく席に着いた。  篠は連絡先こそ教えていなかったが、店に来たいという一ノ瀬に、大まかな店の場所と名前だけは伝えていた。理由は複数考えられたが、一ノ瀬がこの店を訪れるということだけは、篠は予想できていた。 「ご注文は如何致しましょう?」
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