第2章

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 一ノ瀬が篠の体以上を求めた時、または篠が面倒になった時、綺麗すっぱり切れる手は随分早い段階で作っていた。一ノ瀬程頭のいい男なら、『もう終わりだ』と言えばすんなり聞き入れるかもしれない。だけど人間は時々馬鹿になる。執着心、独占欲、依存心。そんなものでいっぱいになれば、言葉なんて通じない。篠はそれを嫌という程知っていた。  篠が講じた手段とは実にシンプルで、一ノ瀬が寝ている隙に写真を撮っただけ。もちろん一糸まとわぬ姿だ。身内にバラすと脅した時、証拠があるのとないのとでは話は全然違う。けれどその画像はいつまで経っても使われないままだった。一ノ瀬は頻繁に体を重ねるようになっても、関係を深めたいと口説いてくることもなく、他の場所で会おうともしない。ただ篠の体だけを求める。お陰で篠は億劫さも嫌悪も感じられない。一ノ瀬の望むだけ体を差し出した。  午前二時三十分。いつものホテルの部屋の扉を開けると、一ノ瀬はスーツのまま布団も被らずにベッドで眠っていた。篠はベッドを揺らさないようにそっと淵に腰掛け、色素の薄い前髪を梳いてその寝顔を確かめてみた。篠が触れても一ノ瀬は一向に目を覚まさない。相当疲れが溜まっているのだろう。最近は会社での仕事が徐々に本格化してきたと話していた。休日は休日で関連企業との会食だの、顔見せの為にパーティーだのに連れまわされているとも。  少し顔色が悪いかもしれない。篠は指の甲で一ノ瀬の頬を撫でた。 誘っておいていざ部屋に行けば眠りこけているなんて、本来の篠であれば興醒めして帰ってもいい筈なのに。一ノ瀬 が年下だからだろうか、篠はそれに呆れるどころか、逆に可愛らしく思えてしまう。……情が移ってしまったのだろうか。らしくない自分が急に恥ずかしくなって、篠は慌てて一ノ瀬から手を離した。  一ノ瀬が目を覚ましたのはそれから間もなくだった。 「……篠さん」  置きぬけのとろんとした瞳で篠を捉え、一ノ瀬は嬉しそうに微笑む。その顔に、篠はどうしてかきゅっと胸の奥が痛むのを感じた。 「ごめんなさい、いつの間にか眠ってしまっていました」  言いながら一ノ瀬は体を起こす。
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