第3章

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 平日中日、真夜中でもパテカトルの客入りは上々だ。カウンターの真ん中を陣取った二十代後半のサラーリーマンは、初めて見る客だったが、話好きなのか盛んに篠に話し掛けてきた。内容は自慢めいたものばかりだったが、それを聞くのも仕事のうちだ。その男は随分なハイペースで酒を注文し、みるみるうちに真っ赤になった。段々と呂律が怪しくなってきて、篠はやんわりした口調でそろそろ切り上げてはどうかと提案したが、聞く耳を持たなかった。案の定男はしばらくするとトイレに駆け込んだ。フロアスタッフに介抱され、タクシーで強制送還される羽目になった。  スタッフに肩を借りて出口へと向かう男の背を 見つめながら篠は深い息を吐く。ああいった客は初めてではないが、酒の飲み方を心得た客が多いこの店では珍しい方だ。  あれこそが人間の一番みっともない姿だと篠は思う。際限がわからず、自らを見失う。それは酒に限らない。ギャンブルでも、恋愛でも。何かに溺れた時、人はどうしようもないものに成り下がる。  酔っぱらいとスタッフが出ていったのと入れ替わりに、長身の男が姿を現す。迷うことなくカウンターへ近付き、すっかり定位置となったカウンターの左端に座り酒を注文した。  結局、篠が一ノ瀬と出会った秋から、季節が冬に移り変わっても関係は続いた。一ノ瀬はカウンターに座っても、篠に特別話し掛けたりはしない。ただ黙って酒を飲み、篠の上がりを待つ。  一ノ瀬に押し切られる形で継続した繋がりを篠は持て余していた。『都合のいい男でいい』と宣言した通りに、一ノ瀬は表面上以前と何も変わらない。週に一、二度の逢瀬以上を求めて来ない。  お互いの快感を高め、熱を解放する行為を繰り返す中で、発散されず内側に蓄積されていく熱量がある。浮かされるような高熱ではなく、体の中心からじんわりと全身に行き渡るような温かさは、篠に安堵と不安を与える。  沈んでいくようなヘマはしない。引き際はちゃんと理解している。自分は男を漁るろくでなしだが、水際でもがくような醜態は晒さない。それなのにどうして、上手くこの男を切り離せなかったのか。篠はグラスを揺らす男を盗み見た。  篠には一ノ瀬がわからなかった。もう充分すぎる程、篠が猥雑な人間だということは知った筈だ。それなのにどうしてまだ篠を求めるのか。
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