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「篠さんだったらシェーカーを振る姿もさぞ様になっているでしょうね」
その姿を想像しているかのように、一ノ瀬は楽しそうに笑う。
「よろしければ、今度お店に伺ってもいいですか?」
遠慮がちの申し出に、篠は正面に向けていた視線を隣に移した。整った顔立ちが、お行儀よく返答を待っている。
篠の勤める店は、立地も提供する酒の質もランク的にはかなり高い。しかし一ノ瀬には、今いるような高級ホテルで、夜景を見ながらグラスを傾けている方がしっくり来る気がする。それでもこれは当然あるべき社交辞令なのだろうと察して、相応に返すことにした。
「ご来店お待ちしております」
営業用の口調と顔で篠が言うと、一ノ瀬は何故か一瞬固まってから、「はい、是非」とぎこちなく答えた。
レストランでの食事後、一ノ瀬は同じ階にあるバーへ篠を誘った。飲み足りない篠はそれに従う。カウンターの中央に腰掛けて、一ノ瀬は仕切り直すように、篠のマティーニのグラスに自分のバランタインを合わせた。使われているグラスも一流の物なのだろう、合わせると鈴のような軽やかな音を響かせる。 「お坊っちゃんっつったらあれだろ、コンビニ行ったことないとか、ファ ー ストフード食ったことないとか」
篠はよく冷えたカクテルを一口煽ると、オリーブが串刺しにされたカクテルピックで、行儀悪く一ノ瀬を指す。
「いいえ、どちらも経験済みです」
一ノ瀬は少しだけ得意げにそう言った。
「ちなみにアルバイトをしたこともあります」
「は? なんで。金あんだろ」
「両親の教 育方針です。様々な立場や目線で物事を見られるようになりなさいと」
ふーん、と呟き、篠は冷たいオリーブの実を口にした。
「カフェでウエイターをしたり、最近は偽名を使って系列ホテルで働いていました」
成功した悪戯をこっそり打ち明けるように一ノ瀬は笑みを浮かべる。そんな子供っぽい表情とは裏腹に、きつい洋酒を氷に馴染ませるように揺らして口元に運ぶ。
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