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 私にとっては、ほんの少し前。この子にとっては、遠い昔。  当時、訳あって放浪の旅をしていた私は、数日の間だけ、とある老夫婦の下で、居候として過ごしたことがある。  その世話になった老夫婦の孫が、おチビさんであり、私の生徒のゆづるさんだった。  彼女は、過去のことはもうすっかり忘れているだろう。  たとえ覚えていたとしても、私がその男とは思うまい。  何故なら、今の私はあの時とはまったく違う人間として、彼女の前にいるのだから。  大きくなったおチビさん――ゆづるさんに、家庭教師として再会したのは、別に狙ったわけではない。  長い長い旅の途中、どういう巡り合わせなのか、偶然が幾重にも重なり、彼女と再会する機会を得た。ただそれだけ。  過去に彼女から受けた恩に報いる為に、この偶然をこれ幸いと利用し、家庭教師として名乗りを上げたのだ。  さりとて、今は長い旅の途中。  この子に恩を返した後は、再び旅に出る予定だった。  私という存在は、この子の人生にとって、ただの通過点に過ぎない。  それ以上の存在になるつもりも、その権利も、私にはない。  なのに―― (うん、参ったな)  ほんの少し、悪戯をしただけ。  昔の彼女がしてくれたように、飴を一粒、彼女に差し上げた。ただ、それだけなのに。  彼女の唇が触れた指が熱い。  これまで変わらず食べていた飴が、彼女と同じものを食べていると思った瞬間、これまでになく甘く感じた。  なんでだろうと疑問し、口内のみならず胸にまで広がる甘さがくすぐったくて、思わず胸元に手を当てて、気付く。 (ああ、この想いは――)  気付いた時には、既に手遅れ。  それはあまりにも唐突に訪れた。  しかし、実際は、もっともっと前から存在していたのかもしれない。  知らぬ間に私に近寄り、本当にさり気なく懐に潜り込んだその"想い"。  熱く、甘く、切なく、心震える。  これを"いとおしい"、と人は言うのだろう。  ただし、十余年前に、私が幼いこの子に対して抱いていたものとは、どこか違ういとしさだった。  このもどかしい思いは、さて、なんだろうな。
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