8月2日

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8月2日

 彼女と初めてやりとりをした日から一週間が経った。僕はその間毎日図書館へ通い、彼女は毎日僕の正面の席で本を読んでいたが、あの日以来手紙のやりとりをすることはなかった。いい歳をして図書館で女子高生をナンパするようなことをすれば、小説の神様の怒り鉄槌を下されるかもしれない。……という言い訳をしながら単純に僕から行動を起こす勇気ときっかけがなかっただけだ。  でも今日は違う。書いていた小説の第一章が完成し、彼女にそれを渡すというれっきとした口実がある。自動ドアをくぐる足取りもいつもよりも軽い。にやつきそうになる顔を抑えながら歩いているとすれ違った織田さんから「なにか良いことでもあったんですか?」と尋ねられる始末だ。「なんでもないです」と顔を伏せていつもの席に向かう。彼女は今日は『世界の絶景100選』という本を読んでいた。  僕は意気揚々と彼女の正面に座り、白線の上にプリントアウトした原稿を置いた。いつもはパソコンで清書したものをそのままネットに上げるので、紙に印刷するのなんて久しぶりだった。  彼女は読んでいる本に集中していて原稿はおろか僕の存在にも気が付いていない様子だった。読書を邪魔するというのも気が引けたので、彼女が自然に気が付くまで続きを書き始めることにした。  原稿用紙が五枚と半分埋まった頃、音もなく白線を越えてくる切れ端に気が付いた。 『これ読んでいいんですか?』  彼女は読んでいた本を閉じ、代わりに右上の端をクリップで留められた僕の原稿を手にしていた。『もちろん』となるべく平静を装いながら書く。それを見た彼女は椅子の上で嬉しそうに弾む素振りを見せた。  可愛いな、と思った。彼女に対する好奇心は多分この時確かな好意に変わっていた。
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