苺は野菜か果物か、の話

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苺は野菜か果物か、の話

「ただいま、美晴(みはる)さん」 「あ、お帰りなさい」 「ふふふふふ」 「……何かしら」  我が家の主が帰宅した、かと思えば、冬貴(ふゆき)は突然、ふふふふふ、と謎の笑い声を零す。  両手を後ろに隠しているあたり、何かを持っているのだろうけれど。 「今日はお土産があるんだ」 「何か持っていそうな雰囲気はものすごくしているけれど……何かしら」 「ふふふ。美晴さんが絶対に喜んでくれるものさ」  にこにこと満面の笑みを浮かべながら、彼はそう告げる。  私の喜ぶもの。  彼はそう言ったけれど。 「私は別に…君が毎日、無事に帰ってきてくれれば、それだけで良いのだけれど」  行ってらっしゃい。  お帰りなさい。  それが言えるだけで、その言葉を君に言えるだけで十分幸せなのだけれど。  そう思いながら呟いた直後、「ああ、もう!」という言葉とともにグッ、と身体に軽い衝撃がはしる。 「本当に、僕の奥さんは可愛いんだから!」 「可愛いって……別に私は可愛くな、」 「いや、まぁ美晴さんは綺麗系といえば綺麗系なんだけど、いや、でも可愛い系でもあるな…いや、でも待てよ…」 「君、聞いている? ねえ、冬貴?」  ぶつぶつぶつぶつ。  可愛い綺麗、でもみんなに見せるのは、等と私を自分の腕の中にしまいこみ、何だかよく分からないことを呟く彼には、どうやら私の声は届いていないらしい。  腕の力は緩む気配はないし、どうしたものか。  帰宅したままの格好でまだ上着すら脱いでいない彼の腕の中でそう考えるものの、ふととある事に気がつく。  少し身体をずらせば、何を持っているか見えるのではないかしら。  ほんの少し湧いてでた好奇心に、彼の腕の中でもぞ、と身体を動かすものの、どうやら思った以上に身体は動かないらしい。  けれど、何度かもぞもぞと身体を動かしてみれば、彼の腕の力がほんの少し、弱まる。 「あー、でもなぁ…どっちの美晴さんも捨てがた」  あと、少し。もう少し。  そう思いながら身体の向きを懸命に動かしていたその時、ふいにパッ、と身体を縛っていた圧力がなくなる。  それと同時に、くるんっ、と全力で回れ右をした瞬間、視界の端に、白い袋のようなものが見えた。 「なん」  何だろうか。  思わずそう、呟きかけた次の瞬間 「ざーんねん」 「ひゃあ?!」  耳元で突然聞こえた声に、意図しない声が溢れる。 「ひゃあ、って、もう」 「ふゆっ?! 」 「あー、本当。僕の奥さん可愛い」  くすくす、とそんな私を彼は楽しそうな声で笑う。  彼の口が私の耳元にあるせいで、彼が喋る度に、吐く息すら聞こえてきて、何だかくすぐったくて、思わず首を竦める。 「美晴さん、今日のお土産みたいに真っ赤だね」 「もう、からかうのは止めてと、何度言えば分かるの」 「からかってなんかいないさ。むしろ僕はいつだって本気なんだけど」  キッ、とせめてもの抵抗で、真横にある彼の顔を目に力を入れながら見るものの、私を見る彼の表情は、こちらが照れてしまうほど、甘く柔らかな表情を浮かべている。 「本当に…君という人は…」  はあ、と大きな息を吐きながら、かろうじてそう呟いた私に、「だって美晴さん相手だからね」と、彼はサラリと告げた。 「いい匂い」 「苺のアイスもあるんだよ」 「アイスも!」  溶けてしまうから保冷バッグに入っているよ、と私を開放することを忘れているかのように後ろから私を抱きしめたまま、彼はビニール袋の口を開く。  白い袋の中に見えるのは、真っ赤な艶と、甘酸っぱいイイ香りを漂わせている真っ赤な苺たち。  ちらりと見えた苺の下にある白いものに、多分、彼の言う苺のアイスクリームが入っているのだろう。  緑の赤のコントラストが鮮やかなぷっくらとしたフォルムを持つ苺に、思わず目が奪われる。  そのまま食べても、もちろん美味しいけれど、苺のパフェを作ってもいいかもしれない。  牛乳があるからいくつか潰して粒つぶの苺ミルクもいい。  袋の中に並ぶたくさんの苺に、思いを馳せていれば、ふいに「ねぇ、僕の奥さん」と彼の楽しそうな声が聞こえる。 「何かしら」 「苺は野菜だと思うかい? それとも果物?」 「それはまた…急な質問ね」  袋の口を閉じながら問いかけてきた質問に、ううん、と小さく唸り声が溢れる。 「確か…バラ科に属するのは覚えているのだけれど…」 「じゃあ少し質問を変えようか。日本で果実、と呼ばれるのは、畑と木、どちらにできるもの?」 「木、よね。畑にできるものは野菜。…そうなると…苺は畑で育てるから…野菜なの? あんなに甘いのに?」  そう問いかけた私の手をとった彼が、手を掴み和やかに笑う。 「苺って甘くて美味しいよね。時々すっぱいけど、苺といえばケーキやゼリーなどにも使われるし、小さな子から大人まで好きなひとが多い。果物の代表格と言っても過言ではないね」 「ええ。苺のショートケーキとか、ケーキの定番というイメージだけれど」 「ね。ただ、まあ、一応というか。メロンとかスイカと同じで、植物の分類、農業生産上では野菜にあてはまるんだよ。でもさ、お店で売っているのは果物として売られているよね」 「ええ。果物屋さんにあるか、果物コーナーにあるイメージだけれど」 「うん。僕もバナナやみかん、梨などと一緒に並んでいるのが当たり前の光景だと思っているよ。まあ実際、市場とかはガッツリ果物としての取り扱いだし。政府が出している統計とかでも果物的野菜として書かれていたり、果物として書かれていたりって、ハッキリ決まっていないんだよ」 「…何だか…苺も振り回されて大変なのね」  苺からしてみたら、野菜であっても果物であってもどちらでも構わないだろうに。  そう思いながら呟けば、深い溜息とともに「あー、もー、本当に」という言葉が聞こえて、思わず顔を横に向ける。 「っ!」  近い。  同じタイミングで、冬貴まで、こちらを向いているなんて思っておらず、思わず息が止まる。  そんな私を見て、目尻を下げた彼が、柔らかく笑う。 「本当に、僕の奥さんは苺みたいだね」 「もう…」 「ちなみに、苺の赤い色は、アントシアニンによるものなんだよ」 「へぇ…そうなの」 「でも、きっと、僕の奥さんのほっぺたの赤は、僕によるもの、だね」 「ふゆ、」  冬貴、と呼ぼうとした彼の名は、ふふ、と嬉しそうに笑った彼自身によって、呼びきることは無かった。
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