本編

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 その石を選んだ理由は特に無い。  偶々爪先のすぐ傍にあったから蹴ってみただけで、ほんのちょっと視線を振れば石なんか他にもごろごろ転がっている。  今私が選んだものよりももっと丸っこくて蹴りやすそうな石なんてものもきっと見付かるだろう。  かといって、そんな所で時間を無駄にしてまで石蹴りをしたいというわけでもない。  ドアの窓ガラス越しに見掛けたクラスの子達の気怠げな姿と、ドアの隙間から廊下へ漏れてくる会話の内容と、私の名前を度々口にしながら小馬鹿にしたように笑っていた意味とをうっかり考えてしまわないよう、くだらない何かに夢中になろうとして、道端に落ちていた石を蹴り始めただけなのだから。  角張った小さな石ころは、履き古した運動靴の先っちょでやや強めにコツンとつっついただけで、からんころころと歩道の上を転がっていく。  二三歩先の位置で止まった小石に追いついたら、また靴の先でコツンとつつく。  先を促して、追いついて、また促して、また追いつく。  視界の全面を占めるコンクリートの地面はまるでオートウォークのように上から下へ流れていく。  地面の他に両目に映るものといえば自分の足か小石ぐらいのもので、そうして下だけ向いて歩き続けていれば煩わしい他の何もかもが視界に入らなくなるから、鬱々とした気分にならなくていいと思っていた。  でも、目を誤魔化せた所で耳があるから、車のエンジン音だの風の音だの信号機のお知らせ音だの人の会話だのといった諸々の雑音は否が応でも聞こえてしまって、結局誤魔化しきれていない。  後方から聞こえた甲高い笑い声に振り向くと、中学だか高校だかの制服を着た男の子達が三四人で並び歩いていた。  目が合わないうちにすぐさま視線を足下の小石に落としたから、姿を見たのはほんの一瞬だけだったけど、さっき聞こえた間抜けな笑い声からして、多分楽しい話をしているのだろう。  仲が良さそうな所を見るに友達同士なのだろう。
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