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梅干しの赤に、シソの青。黒い海苔が涼し気にツユの中で揺れている。
「香りもいいし、冷たくて美味しそうだ」
海苔と梅、シソの香りのする冷たい汁を、ユウくんは一口飲み込んで味を確かめる。
「うん、悪くない」
出た。悪くない。ユウくんが悪くないっていう時は、それはつまり、良いって意味。美味しいなら美味しい、まずいならまずいとはっきり言えばいいのにね。
素麺を口の中に流しいれるユウくん。あっ、むせた。ワサビの塊を食べちゃったんだ。汁がくちから少し零れ落ちる。あーもー。
「んー、さっぱりしてて美味しい!」
満足そうに素麺をすするユウくん。
素麺を食べるユウくんを見つめ、あたしは唾を飲み込んだ。
今こそ、対決の時!
「ねえ、先週言ってたことだけど……」
「何?」
「ほら、会社を辞めるって言ってたことだよ!」
「ああ。俺、もう辞めるって決めたから」
「でも、お金もかかるし」
「少しだけど退職金があるしさ」
平然とした顔をして素麺を食べるユウくん。あたしは語気を強めた。
「チカのことだってあるし。ほら、これから色々お金もかかるでしょ」
一人娘の将来を思い不安なあたしに対し、ユウくんはあっけらかんとした顔で言った。
「それよりさ、ミキティーは食べないの?」
あたしはため息をつく。
「食べる気力が湧いてきません……」
「えー? この梅味の素麺、いつもと違っててすげー美味しいから、二人で一緒に食べたいのに!」
あたしは素麺を半分残したままのユウくんの顔を見た。
妙に食べるのが遅いな、と思っていたけど、それはこの素麺が美味しいから、二人で一緒に食べたかったんだ。
そう、あたしも奥様の家でこの梅干しを食べたとき、真っ先にユウくんの顔が浮かんで、どうしても食べさせたいと思ったんだ。
ユウくんは笑う。
「大丈夫だよ。チカにはもう電話したけどさ、もう三十だし、結婚資金ぐらい自分で何とかするって。それに年金が来るまでの少しの辛抱だよ」
あたしはカレンダーを見た。今月の30日に、大きな花丸がついていて、「30回目の結婚記念日?」の文字が書かれてる。そっか、今年は2047年だっけ。結婚してもう30年も経つのか。
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