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「一週間に一度くらい姿を見て……会釈を交わせるだけで、嬉しくて堪らなかった」
地位も名誉も、人が羨むあらゆるものを手にした男が、そんな小中学生の恋愛みたいな言葉を口にするのがまったく似合わない。
「こんな風に行動に移すつもりなんて、なかったんだ……」
恐るおそる頬を伝う月城の手。宇坂はそれを、そっと振り解いた。瞬く間に目の前の男が歪む。
『悪いけど、俺はそういう人種じゃない。だからあなたの気持ちは迷惑だ』
宇坂がそんな言葉を口にするより先に、月城はすっと表情を引き締めた。至近距離で射るように見つめられ、どきっとする。
「何も望まない」
「……え?」
「君の困るようなことは絶対にしないし、迷惑も負担も掛けない」
月城の意図がわからず、宇坂は眉根を寄せた。
「だから、どうかお願いだ。この先も……今まで通りに俺と過ごしてくれないだろうか」
心の奥底から絞り出すような声で紡がれた懇願だった。
拒絶する、という選択肢しかもっていない筈なのに、宇坂の中で戸惑いが生じる。
「それ以外は望まない」
男の真剣な眼差しが、宇坂を揺さぶる。
「なんでもする……、俺ができることなら、なんでも」
重ねて乞われる。重苦しい時間が流れた。頭を掻いて、何度も深い溜息を吐いた。月城はその間ただじっとしていた。
その夜、とうとう宇坂の口から拒絶の言葉は出ないままだった。
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