第3章

4/12
1900人が本棚に入れています
本棚に追加
/86ページ
 午後の業務が開始されてから三十分も待たずに、宇坂はトイレに席を立った。今日は仕事も溜まっておらず気楽なものだった。オフィスを出て、エレベーターホールに入るとすぐに月城のクリニックの看板が目に付く。今日は金曜日で、今夜も食事をする予定になっていた。毎週美味しいものをたらふく食べ続けていると、太りそうだなと呑気なことを考えながら角を曲がる。すると、壁の突き当り付近に人の姿があった。男と女。非常階段の手前にあるフロア共有の給湯室へと二人の姿は消えていく。どちらも知った顔だった。一人は宇坂の会社に勤める二つ年上の女性社員。プランナーの田上だ。仕事もできるし、かなりの美人だが、振った男の数をステータスにしているような雰囲気が、宇坂は少し苦手だった。そして、もう一人は診療衣に上着を引っ掛けた月城だった。  その場の空気で、なんとなく状況は察した。宇坂は少し迷って、興味から二人の会話をこっそり聞くことにした。そっと近付き、中からは完全に死角になる入口の壁に背を預ける。  この時間なら月城はまだ休憩時間中の筈だが、田上は就業中だ。よくやるなあ、と心の中で呟くが、今のこの状況からして宇坂が言えた義理でもなかった。 「すみません突然……。ずっと声を掛けたかったんですけど、なかなかタイミングが……」  差し詰め、宇坂と同じような理由で外に出た際、偶然にも月城と出くわして声を掛けたというところだろう。 「お見掛けする度に、気になっていました。もしよろしければ今度お食事にでも行きませんか?」  田上はその容姿からクリメージ三部のマドンナ的存在ではあったが、外に弁護士の彼氏がいるという話を聞いていた。その相手とは既に別れたのだろうか? 宇坂がそんなことを考えていると、月城の声が聞こえた。 「せっかくのお誘いですが、お断りさせてください」  田上が息を呑む音が響く。
/86ページ

最初のコメントを投稿しよう!