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ナシェルは眼を逸らした。
その少女の瞳の色。それは紛れもなく父親であるナシェルから受け継いだ形質であった。云いかえれば、全身のうちで唯一、そこだけが父親に瓜二つだったのだ。
群青石のように煌く二つの瞳。夜空の女神でさえも、この瞳と同じ色を造りだすことは不可能であろう。それほどに輝かしい群青の瞳……。ナシェルのそれと同じ……。
冥王が愛した色。そして冥王の子ではありえない色。冥王の瞳は血の如き紅玉だ。そしてセフィの瞳は翠色。ならば冥王は生れた子の瞳が開くなり、即座に子供の父親を悟るだろう。自分ではなく、ナシェルであると。
「なんて綺麗な瞳をしているんでしょう、ねえ、兄上。この色は父上というより、どちらかというと……」
エベールは小首を傾げた。幼い動作だったが、眼は違う。笑っていた。
だがナシェルはそんな異母弟の僅かな変化を気にする余裕もなく、半ば立ち上がっていた。
「もうよせ、エベール。すべて水晶で見てしまっては楽しみが減る。楽しみは……無事に生まれてからに取っておくとしよう」
「兄上、そうおっしゃらずに」
エベールはナシェルの袖を引く。ナシェルは我知らず、その手を振り払っていた。
「やめろと云っている!」
ぱしっと乾いた音がして、エベールは驚いたように頬を押さえた。振り払った手が当たったのだ。やがて、彼の眼にじわりと涙が浮かぶ。
「申し訳ありません、兄上、お気に召さなかったのですね……」
「済まぬ、手を出すつもりは……」
ナシェルは異母弟の頬に触れる。
「いいえ、私が悪うございました。退屈しのぎにと思っただけなのです。どうかお許しください。……どうか嫌わないで下さい」
「判っている。そなたを嫌うなど、考えもつかぬこと」
じわじわと溢れる弟の涙は、そのまま頬を濡らし膝に落ちる。
ナシェルはこの繊細で脆弱に見える異母弟を、常に哀れに思い、何かと助けてやりたいとも思っていた。嫌わないで下さい、その言葉を何度聴いただろう。
女妖界の女領主と冥王が戯れに契り、その結果生まれた子で、望んで生まれた子ではないがゆえに、冥王からはその存在すらほぼ無視されている。神の子でありながら神力を持たぬがゆえ、永劫に認められることはないのだろう。しかし、今のところ冥王の子といえばナシェルと、このエベールだけなのだ。
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