第一部 血獄 4 闇の王 ※

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第一部 血獄 4 闇の王 ※

 まるで姿見に映る己が、鏡を抜け出し襲い掛かってくるかの如く。  それは真っ直ぐにこちらに向かってくる。  ナシェルは息を止めた。  いや……鏡ではない。冷静になれ。よく見ろ、あれは……。  己の本体だ。  冥界の王、闇の神(セダル)。  己の……。  なぜここにいる。  という問いを、ナシェルは歯の裏でせきとめた。足を止めたまま動けず、彫刻のように立ち尽くす。  竦んでいるナシェルの目の前まであっという間の速さで近づいてきた冥王は、彼の傍に寄るなり彼をひっしと抱きすくめた。  否、抱きすくめたというよりは倒れ掛かったという方が正確か。ナシェルはそのあまりの勢いに不意を突かれてよろめいた。冥王の体を思わず抱きとめながら、側背の壁画に背をぶつける。息が詰まった。  抗議の声を上げようとした唇は、一瞬の差で間に合わなかった。セダルの唇が、早業というべきほかない急速さで迫ってきて、口から飛び出しかかった文句を塞いでしまったのだ。 「……!?」  顔を背けようとするも、背中に廻された手がするりと這い上がってきて、首筋を掴まれる。  息すら吸えぬ激しい口付けに、眩暈すら覚える。 「……待っ……陛、下」  手で押して何とか隙間を作ると僅かだが圧迫感から解放された。息の継ぎ目に、何とか言葉を吐き出す。 「何? 聞こえぬ」  セダルは仄かな抗議を無視して一層体を摺り寄せ、激しく唇を貪った。  息苦しさに口を開くと、途端に舌が滑り込んでくる。掻き回されるような感覚に、意識が遠のく。  それ以上の抵抗を諦めると、冥王は満足げな笑みを浮かべ、身を屈めてナシェルの首筋に唇を押し付ける。  鎖骨を舐め上げられ、ナシェルはびくりと身を震わせ、眼を閉じた。  必死に押し返そうとしていた手はいつの間にか遠慮がちに、冥王の服の袖を掴んでいる。 「……んっ」  耳を噛まれ、思わず声が漏れる。  挨拶がわりの口付けにはもう慣らされてしまっているが、今日のセダルは普段より幾分熱が籠っていて戸惑った。  強く撥ねつけようと思えばできなくもない。だが……。
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