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彼だった。
見間違える筈がない。
そこにいるはずの無い彼が、今なぜここにいるのか。
考えあぐねても到底分からない。
ただ、一度だって忘れた事の無い、彼が今そこに……娘の隣に立っていた。
涙で霞むのは、娘の花嫁姿に感激してなのか、ずっと会いたかった嘗ての想い人に再び会えた喜びなのか、それとも二人が今日この日を共に迎える奇跡に感極まってなのか。
私は嗚咽を堪えて、ハンカチで口元を押さえた。
ずっと会いたかった。
彼が派手な生活をきっぱりとやめて仕事に専念していたのも各紙のインタビューでずっと昔に知っていた。
ただ、怖かった。
今更、ノコノコとあなたの子ですと言って娘を連れて彼の前に出るのが怖くてならなかった。
それなのに、今彼女と彼とが二人並んで歩く姿を見ているなんて……。
自分のエゴで彼女が今までどんな思いで生きていたのかと、自分を責めない日はなかった。
彼も 疾うの昔に私達……いや、私の事など忘れていると思っていた。
国内だけでなく世界中の建築デザインをしていると聞く。
きっと忙しい日々なのだろう。
それでも、どうして知ったかは知らないが、こうして彼女の父親としてこの道を共に歩いてくれているということは、全く情が無いなんてことはないのだろう。
少しでも、自分にも何かの感情が残っていてくれたならと、そう思うのは贅沢だろうか。
彼は、緊張した面持ちで役割を無事に果たし、最前列に座っていた私の隣に当たり前のように座った。
久し振りの彼の顔を、緊張で私は見ることが出来なかった。
肩が触れそうな程近い。
心臓がはち切れそうだ。
目を落とすと彼のゴツゴツとした指先が視界に入った。
どれ程その手を繋ぎたかったか。
まさか、この歳で恋に似たこの感情を再び味わうとは思いもしなかった。
すぅっと頬に涙が伝ったが、全てが夢で覚めてしまいそうな気がして動けなかった。
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