12月を過ぎた頃

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彼女は僕が押しつけた傘に驚いて、俯いた顔を上げて、虚ろな目で困ったような顔をした。 ビニールの傘に、戸惑う彼女と、何を言えるわけでもない臆病者な僕が雨粒と一緒に映っていた。 「…ありがとう。」 彼女の言葉は、悲し気な顔と一緒に。 その時僕は思いました。 きっと…記憶がなくなる以前の僕と合わせたって、僕はこんなにも悲しい顔をする人を見たことがありません。 悲し気どころかその頬に雨が止むことはなくて、今度は僕の方が何も言えなくなっていました。 どうしてそんなに悲し気なのか分からないけれど、その頬の雨粒が今まで僕の見た雨の中で何より綺麗だと思いました。 そして、不思議なことが起こった。 それまで強く降り続いていた雨が、急に緩やかに弱く、優しい雨に変わっていったんです。 ─雨は綺麗には止みませんでした。 けれど薄れた雨空から、綺麗な茜色の夕暮れに辺りが徐々に染まっていったんです。 今日も相変わらずの異常気象だ。 誰もこんな天気になるだなんて…想像もしていなかったでしょう、知らなかったでしょう。 僕はもう、自分の体が冷えていくことなんて…分からなくなっていました、忘れていました。 「借りていて…いいんですか?」 彼女の言葉、掠れた声。 僕はまだ何も言えなくて、何て言ったらいいか分からなくて…ただ耳に届いた言葉に頷いた。 彼女は僕の顔を見て僕が頷いたのを見て、また視線をアスファルトに落として、細い足を踏み出した。 街角を境に、2つに分かれた道に。 僕がいつも通る道とは違う、もう片方の道の方へ歩き出していった。 僕はただ見ていました。 街角を、彼女の凭れていた赤い煉瓦の壁を、薄く色づいた茜色の空を、空が映る水溜りを、溶けてなくなっていきそうな雪を。 あのビニール傘の薄ら茜色に見惚れていたようで、本当は傘じゃないものを見ていました。 ─まだ少し降り続いている小雨に願いました、まだ、そのまま止まないで降り続けて下さい。 僕は濡れても構いませんから。 彼女の雨粒を凌げますように。 「…こんなにも、矛盾した…気持ち…とか、初めてです。」 雨の降りかかる日、雪の積もる日、溶ける雪水の中であなたと出会いました。
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