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「あなた……あな、た……」
シオン公爵の未亡人はいつも泣いていた。
奥屋敷の薄暗い自室で、誰の目通りも許さず。
夫の最期の時を繰り返し胸に蘇らせては、絶望に暮れる日々をただ繋いでゆくだけ。
かつて月の女神の化身と讃えられた美しい顔、銀の髪。それが見る影もなくやつれて色を失っている。
──彼は、まだ小さな弟を抱いて、細く開けた扉の隙間からそんな母の姿をいつも見ていた。
愛さなければよかったのに。
こうなる事はわかっていたのに、なぜ母上は父上を愛したのだろう。
父上もなぜ、ここまで自分を愛する女を妻に迎えた?
(どうせすぐ死ぬって決まってたのに……)
自分が産んだ子供たちの事も忘れ、ただ哀しみに喰われ病んでいく母を見つめながら、彼は繰り返し自分に言い聞かせる。
(愛なんかいらない。ぼくは、ぼくを好きだと言う女は選ばない。ぼくが死んでも悲しまない人を花嫁にする……)
その数ヶ月後。
半ば正気を失い衰弱の一途を辿っていた公爵未亡人は、夫の後を追うようにこの世を去った。
幼い息子、二人を残して……。
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