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「具合が悪いの?」
僕は男ということがばれないよう声は出さず、首を振った。
「誰かと待ち合わせかな?」
首を振る。僕の反応に、おじさんの唇の端がわずかに上がった。
「……じゃあ、よかったらおじさんとどこか行かない?」
声から滲み出ている下心に、一瞬返事を躊躇ったが、僕はこくんと頷いた。
「それじゃあ場所を移動しようか」
おじさんは僕の返しに、笑みを深めて節くれ立った手を差し出した。僕は唾を飲み込んだ。
恐らく、このおじさんはこれからホテルかどこかに連れ込むつもりだろう。その時、僕は逃げ出せるだろうか。
しかしこれを逃せば、もうナンパされないかもしれない。そうなった時、明日の西條からの八つ当たりのような暴力が怖い。
一抹の不安を無理矢理振り払いながら、僕はおじさんの手を掴もうとした。
が、その時。
「オッサン、何してんだよ」
鋭く低い声が僕らの間に割って入ってきた。
僕とおじさんが驚いて顔を上げると、すぐ近くに背の高い男の人が立っていた。
髪は黒く奇抜な容姿ではないが、どこか殺気立った空気を纏っており、僕は身を震わせた。
「おい、何してるのかって訊いてんだよ。聞こえねぇのか」
鋭い眼光をおじさんに向けて、さっきよりも強い口調で再度問いかけてきた。おじさんは「ひっ!」とかすれた小さな悲鳴を上げて、まごまごとしながら答えた。
「い、いや、別に何もしていないよ。ただ、具合が悪そうだったから声を掛けただけだよ」
おじさんは、全く疚しいことは何一つないことを証明するかのように両手を上げた。
「じゃあ、もういい、帰れ。この子は俺の連れだ。……気安く触ろうとすんじゃねぇ」
低い恫喝を言い渡すと、おじさんは「そ、そう、それならよかった」と言い残して脱兎の如く去っていった。
残された僕は、おじさんの姿が見えなくなると、恐る恐る男の方へ視線を遣った。
男は、ぞっとするほど綺麗な顔をしていた。歳は僕より少し上ぐらいだろうか。切れ長の目が、じっと僕を見下ろしている。僕は怖さと居心地の悪さを紛らわすようにぎゅっと膝を抱いた。
男が唐突に手を伸ばしてきた。
殴られる……!
先ほどのおじさんへの言動からその手に暴力性を感じ、僕は咄嗟に目をつむった。しかし、堅い拳が飛んでくることはなかった。代わりに頭の上に優しい感触が降り落ちる。
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