だから何も問題ない

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 赤らんだ顔と酒気が滲んだ吐息と呂律に、スキンヘッドの男が相当酔っていることが窺えた。スキンヘッドの男はちらりと僕の方を見て、目を見開いた。 「ヘッドぉ、どうしたんスか? 連れてる女、全然いつもとタイプが違いますね。あ、もしかして、まわす用の女ですかぁ?」  ケラケラと酷薄な下卑た笑い声を立てるスキンヘッドの言葉に、サッと全身から血の気が引いた。性の知識に疎い僕だが、それでも彼の言葉から卑猥な物騒さを十分に感じ取ることができた。  さらに不安を煽るかのようなタイミングで、男が繋いでいた手を放した。裏切られたような心地で男を見る。  しかし、男はこちらを見ていなかった。男はスキンヘッドの男の方へ手を伸ばした。その手は凶暴さを滾らせた荒い動きで、スキンヘッドの男の胸倉を掴んだ。 「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ。次そんなことこの子の前で言ってみろ。……殺すからな」  脅しに聞こえない冷たく鋭い声に、それを向けられていない僕も思わず震えた。僕でもそうなのだから、その声を直に差し向けられたスキンヘッドの男の恐怖は想像に難くない。彼の顔から酔いの赤みが一瞬にして消えた。 「す、すみませんでしたっ」  スキンヘッドの男は、男と僕に深く頭を下げて、逃げるようにして自分のテーブルに戻って行った。  一連の出来事に呆気にとられていると、男は「奥の部屋、使うから」と店員に言って、再び僕の手を握って歩き始めた。  男に連れて来られた部屋は、やはり店内と同じく黒いソファとテーブルのある個室だった。大きなソファだったが、男が手を握ったまま腰を下ろしたので、僕もその横に座らざるを得なかった。 「さっきはすまなかった。怖かっただろう?」  気遣わしげに男が顔を覗いて謝ってきた。距離の近さに戸惑いながら、僕は首を横に振った。男はほっとしたような表情をして、またすぐに口を開いた。 「そういえば、名前も言ってなかったな。俺は黒羽薫(くろばかおる)。……よかったらそっちの名前も教えてもらっていいか?」  僕は言葉に詰まった。声を出せば男だとばれてしまう。目の前の男――黒羽さんが、僕に好意を持っているかは定かではないが、どちらにせよ騙していることには変わりない。本当のことを知れば、先ほどのスキンヘッドの男に向けた、いやそれ以上の凶暴性を見せるかもしれない。
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