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家を出たら、ひたすら走って交番を目指さなきゃ。決意して、ゆっくり玄関のドアを開ける。一歩、外へ踏み出す。
ガチャ、ドアが閉まる音を聞いて―――一気に駆け出した。
急いで階段を下り、走り続ける。
「はぁっ、はっ」
急げ急げ、自分に言い聞かせて交番へ向かう。
交番に着いたら言うんだ、助けてって。
お父さんとお母さんに暴力を振るわれてるから、逃げてきたって言う。アスファルトを蹴って、数メートル先に見えてきた交番にほんの少しだけ安堵する。
「あとちょっと……!」
ガタガタガタ、ランドセルが背中で跳ねる。あの家から、逃げなきゃ。
交番の前に立つ警官のおじさんに向かって、声を張り上げる。
「たっ、助けて!」
「……、坊や?」
「……っけて、助けて、助けてください!」
「ちょっ、どうしたんだい?」
青い服をぎゅっと掴んで、助けてと言い続ける。
「怖い、助けて」
「落ち着いて。おじさんに何があったか話してごらん?」
「おい、何があった」
交番の中からもう1人背の高い男の人が出てきて俺の顔を覗き込んできた。
「大丈夫だから、ゆっくりおじさんに喋ってくれないかな?」
「お母さんとお父さんが」
「うんうん。2人が?」
「殴ったり、蹴ったりしてきて」
言えば、おじさん達の表情が変わる。2人で何やらこそこそと耳打ちし始めた。
「……坊や、中でゆっくりお話ししようか?」
「学校には今日はお休みしますっておじさんが伝えておくから。坊やは何も心配しなくていいぞ」
「助けて、俺っ」
「安心しなさい。おじさん達が何とかする」
ぽんぽん、頭を撫でられる。大きくて、ごつごつした手だった。この手でいろんな人を助けてきたんだよね。
「正直に、全部話してくれ」
そうして交番の中へ連れて行かれた。2人のおじさんは警察官なんだ、守ってくれる。だからこれでもう大丈夫なはず、なのに。
何故だろう、恐怖は拭いきれなくて。
漠然とした不安が、心を支配した。
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----………
「……そのあと警察に全部今まで何をされてきたのか話して、施設に一旦預けられた。親戚とかいなかったみたいで。結局、警察の対応であの人達は逮捕」
ぽつり、ぽつりと語られる。
「俺はしばらく施設で暮らして、小5の時今の両親に引き取られた。そんで父さんにギターとか音楽やってみないかって誘われてやってるうちにハマって中1で星渚や皐月達と出会ってさ」
「……じゃあその引き取られたタイミングで名前も変えたんだね」
「そう。大人の事情とか法律とか、詳しくは分からなかったけど八枝奏の名前のままじゃ生き辛くなるからって」
確かに、通っていた小学校にも近所にも親が逮捕されたことは嫌でも伝わるのだから碧音君にとって厳しい環境になってしまう。
「俺も、名前が変わることは嫌じゃなかった。奏なんて名前、いらなかった」
都合のいい時しか親から呼んでもらえない名前、嫌だったんだろうな。
愛情を込めて口にしてくれない名前に、価値を見出すことが出来なかった。
「名前が変わる時、決めたんだ」
切なくて、どうしようもなく、虚しくて。
「弱い自分を、奏を捨てようって」
それは幼い子供ながらも必死で探し出した、決意だった。
「あの家族も、もういない。いらない」
こんな碧音君の声聞いたことなかった。
「あの人達じゃなくて、俺が。家族を捨てた」
捨てた、家族を。
まるでゴミ箱に紙くずを捨てるのと何ら変わらないかのような言い方。碧音君の瞳の奥が歪み、感情を削ぎ落としたように無表情になる。
「碧音君、昔の自分や家族を、捨てただなんて言わないで」
「捨てなきゃ、前に進めなかった」
言葉に詰まる。まだまだ幼い子供が、自分で立ち上がるにはそれくらいしないとダメだった。
新しい環境に身を置くには、それなりの覚悟が必要だった。
どれほどの矛盾した思いを抱え込んできたのだろう。
傷ついた心で、足で立ち続けるのはどれほど痛かっただろう。
大人に頼って甘えたくても、その方法が分からなかったはずだ。だって、教えてもらえなかったから。
「……昔こういうことがあったから、俺は浅野みたいに簡単に人を否定するやつは嫌い」
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