プロローグ

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1609年。 ついに薩摩藩は琉球へと侵攻を開始した。薩摩藩としては琉球を属国に収めようと画策しており、1590年、豊臣秀吉が関東を平定し、天下統一を成し遂げた際には琉球から京都へ早々と使者を送らないと「難題」を突き付けるという旨が書かれた書状を送っている。 この頃、豊臣政権下は朝鮮と琉球を属国にするようにしようとしていたため、島津氏は琉球を従わせる役割を担っていたのだった。 豊臣政権としては琉球までも手中に収めようと画策していたのだった。 だが、島津氏としては別の考えがあったのだった。 薩摩藩が、琉球を属国にしようという考えだった。これにより、琉球で得られる権利をすべて薩摩藩が握ることとなる。 それに対する琉球の対応は強硬的なもので、謝名利山は使節を送ることを拒否したのだった。 これが引き金となり、後の薩摩の侵攻へと繋がるのであった。 ―――そう、それは兵右衛門が琉球へ漂着する前のことであった。 関係改善を図ろうとした兵右衛門の努力が、かなり昔から完全に水の泡となるのは決まっていたのだった。 そして、兵右衛門に突き付けられたのは島津家が、これから200年もの間、潜伏するための「密命」であった。
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