プロローグ

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1609年 日本・薩摩藩 「そんな・・・私が・・・」 島津家久(しまづ いえひさ)から兵右衛門に突き付けられたのは江戸への出向だった。 しかし、ただ出向するのではなく、実質的な薩摩藩からの"クビ"であり、"左遷"にも近かった。 そして、一番、しっくりくるワードは「人質」であった。 家久:おはんは江戸へゆけ。そして、薩摩屋敷で暮らせ 兵右衛門:薩摩には・・・戻れますか?・・・ 家久:残念だが、脱藩になるのう 兵右衛門:脱藩・・・!?・・・ 家久:徳川はのうのうと薩摩へ逃げ帰った島津を許してはおらんはずじゃ。誰かしら、徳川に差し出さねばならんはずじゃ 兵右衛門:わかりました。お受けいたします 家久:話が早くて助かる 兵右衛門:・・・どうにか、平良の村だけは・・・そこにだけは兵を進めないでいただきたく、思います・・・ 家久:平良の村?・・・ 兵右衛門:琉球のさらに南、麻姑山(宮古島)にございます 家久:そういえば、おはんは助けられたんじゃったな・・・そこまでするつもりはなか。あの国には鉄砲ちゅうもんがない。戦はあっという間に終わる こうして、兵右衛門は薩摩から脱藩しつつも、江戸の薩摩藩邸で暮らすという奇妙な生活を送ることとなった。 そして、それはこれから200年もの間、田口家の薩摩からの人質としての生活の始まりでもあった。――‐
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