懐妊

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 その名を口に出すのは、実に十年ぶりであったか。近所に住んでいた薬師の娘で、幼いころ姉のように慕っていた相手であった。 「また会えるなんて! いつ帰ってきたのです?」 「今までご挨拶ができずに、申し訳ありません。王妃さまの祝言より少し前に、異国から戻りました」 「それまで、ずっと海の向こうに?」 「はい。医術を学び続けておりました」 「その間に、あなたの両親は……」 「聞いております」  アジュラは表情を変えずに答えた。薬師とその妻は、三年ほど前に相次いで病死していたのだ。  ジニが五、六歳だったころに、アジュラは村で評判の女先生だった。目鼻が大きく手足の長い美人であったし、学問がよくできて気立てもよかった。まだ学校に通う歳ではなかったジニも、彼女の授業を聴きたくて、家の手伝いの合間に学校をのぞきに行ったものだ。  背伸びをして板壁の上から顔を出しているジニや他の子どもたちを見ると、アジュラ先生はわざと大きな声で外にも聞こえるように授業をしたり、時には場所を外に移したりしてくれた。学校のない日に、野原で草の名前を教えてくれもした。  しかしある日突然、彼女は消えた。学校からも、村からも。幼いジニはその日、一緒に遊んでもらった野原や小川の周辺を探し回った。最後にたどり着いた村外れの崖から、下をのぞき込んで震えたりもした。     
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