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 五年間何の連絡もせず、突然事前に電話を一本入れただけで帰ってきた実の娘に、両親、特に母の方は相当慌てふためいていた。 「最近じゃお盆もお正月も帰ってこない美湖が急に戻ってきたんだから、なにかもうとんでもないことでもあったんじゃないのかって心配しちゃったわよ。しかも遼平が横領でもしたんじゃないかなんて冗談言うから、お母さんもう震え上がっちゃって」 「そんな大げさな」 「もういやね。遼平ってばいつまで経っても子供みたいで」  遼平というのは五つ上の兄のことだ。兄とももう五年近く会っていない。最後に会ったのは兄の結婚式のとき以来だろうか。 「でも、もしかしたら転職するかも」  美湖がそう言うと、母は「そうなの?」顔を曇らせた。 「あんたの好きにしたらいいけど、こっちに迷惑かけるのだけはやめてよね。お父さんだってもうすぐ定年だし、遼平も安月給で、そのうえこれから隼人の学費だって」 「わかってるよ」 「あ、そう」  昔から母は長男である兄にしか関心のない人だった。自分がどこぞで野たれ死んだとしても、この人は一生気がつかないんじゃないかと美湖は小学生の頃、漠然と思ったことがある 「京ちゃんがね、失恋じゃないかって言ってたんだけど、当たり?」  そんな美湖の内心などまったく気づかず、母が訊いた。その声色は事件の現場でリポーターにマイクを向けられた野次馬にそっくりだった。 「京ちゃんって誰だっけ?」 「やだ、遼平のお嫁さんでしょ」  母の呆れた声に、ウェディングドレス姿の義姉の絵が頭にぼんやりと浮かんだ。最後に見たのがそれだから仕方ない。京子とか京香とか、たしかそんな名前だったと思い出す。 「そういえば、裏の中西さんとこの愛ちゃん、出戻りなのよ。しかもね、信じられる? ランドセル背負った女の子と一緒に帰ってきたのよ。あとわたしのパートのデイサービスでもね、若い介護士さんとそこの所長が……」  母の下衆な噂話が始まろうとしたとき、タイミングよく隣の部屋で甥っ子の泣き声がした。ひとりで遊んでいて転んだか何かしたのだろう。すっかり板についた祖母の顔でいそいそと部屋から出ていく母の背中を見つめながら、美湖は数十分前に初めて会った甥っ子に感謝した。君はきっといい大人になるだろうと心の中で呟く。
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