ズレ

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ズレ

 その夜、私はやっぱり葵離宮にいた。時刻は九時を回っている。  夜風に当たるように縁台からぼんやり庭を眺めていると、一つの足音が近づいてきた。 「春華?」  心地よい低さの声が、怪訝そうに名を呼んだ。  私は頼りなくそちらを振り向いて、やっぱり眉を寄せている紅泉に曖昧に笑った。 「遅かったね、紅泉」 「前程ではない。お前はこんな時間に、一人で何をしている」  眉根をギュと寄せて、少し怒った様子の紅泉が傍にきて、私の肩に触れた。その手がなんだか、温かい気がした。  ふわりと体に触れる柔らかく滑らかな絹の感触が、すぐに冷えた体を温めてくれる。紅泉の着ていた赤い丈長の上着が掛けられたのだ。 「体が冷えている。何かあったのか?」  まだ眉根は寄っている。けれどもう、怒ってはいない。心配そうに、気遣わしげに、深紅の瞳が覗き込んでくる。 「別に…」 「話せ、春華。一人では、どうせ答えも出ないだろ」  相変わらずの命令口調。けれど紅泉のは、嫌いじゃない。心配してくれているのが分かるからかな。それに、それほど高圧的じゃないからかな。  私はまた、縁台に腰を下ろした。隣には紅泉がいて、同じ景色を見ている。 「何があった?」     
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