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ドアを開けて空を見ると目が眩んだ。ふらつく俺がよほど危なっかしかったのか、それとも逃げ出すとでも思ったのか彼は俺の手を繋ぎ早足で歩く。
「あ、待って……あの」
必死で彼の後をついていくとき、ふと振り返って見た風景。俺が暮らしていたのは小さな古いアパートだった。そのアパートに入り口には大きな桜の木が一本。満開のいまはきっと春なのだろう。そう言った生きてゆくための記憶は残されていた。ただ彼と自分のことだけが思い出せない。
美しい桜に見入っていると、彼は乱暴に手をひいて歩く。
「絵でも描きたくなったか? 出会った頃からあんたはそればっかりだったもんな」
「絵……?」
「は、それすらも覚えていないか」
連れられて住宅街を抜けると小さなスーパーマーケットがあった。戸惑う俺とは相反して彼は手慣れたようにかごを取り、食材を入れて行く。そして5キロの米とミネラルウオーターを。
「荷物持ちくらいしろよ、木偶の坊」
そそくさと買い物をすませて、彼は俺に米と食材の入った袋を持たせる。外に出て立ってみれば、その男は予想外に小柄だった。
「これも持てよ、アルファなんだから平気だろ?」
「アルファ、誰が?」
「お前だよ」
この世の性別については覚えていた。アルファとベータとオメガ、その優劣さえも。
俺がアルファ……では彼は?
「あの」
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