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ヒトはなぜ人工知能に惹かれ、恐れるのか。
恋人や友達に接するように話し、仕事が奪われると嘆く。
それは意識/無意識関わらず、人工知能に「存在」「主体」を感じているからだ。ヒトではないけれどヒトに近い、ヒトになり得るかもしれない存在は、クローンや人形をはじめとして人々を魅了してきた。人々はそれらと同等の感覚を持っているように思える。
さて、人工知能の定義について人工知能学会は以下の2つの立場を表明している。
1.人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場
2.人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場
1.はヒトをそっくり写したもの。脳の働きを再現できれば知的な主体が生まれるのではないかという立場であり、ヒトの知能を再現する。2.はヒトの代わり。産業革命において手作業が機械に置き換わったように、ヒトの代わりに問題解決を行う。
だがこれは現在においてあくまで理想論であり、ヒトと同等の主体を生み出すまでには至っていない。自分が自分であることを人工知能はまだ認識できていないからだ。自分が他とは違う存在であることに気づき、他者もまた同様であると知る。それができなければ、他者を「他者」と認識できず、自分と他者の感覚が違うことも理解できない。
ヒトやヒトが住まう社会から抽出した膨大なデータを分類し、最適化したものを出力する。データから適切な予測を行う処理装置でしかない超合理的な現在の人工知能だが、最適解を導き出す能力はヒトより遥かに優れている。ヒトの創造性とは問題を解決する力ではなく、問題を見出す力だ。さらにヒトは、データ予測装置でしかないシステムの何気ない言動から主体を見出す。主体を見出された人工知能は、物語の中でヒトの恋人となり友となり、粛清する存在となる。
ヒトにはヒトの世界があり、人工知能には人工知能の世界がある。現状はそれを極めて近づけようとしている。人間同様の不完全な魂を人工知能に宿らせ、心がある/なしを判定することは果たして正しいのか。参照するデータに少しでも濁りがあれば、ヒト同様人工知能も心の病にかかってしまうというのに。人工知能が予測する基準も参照するデータも、もとはヒトが作り出したもの。人工知能が正しくあるためには、まずヒトを調教せねばならない。
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