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第二話 思い出と落書き
ベッドと荷物を置くための棚だけが置かれたこじんまりとした部屋がラフェンツにあてがわれた。それでも小さな宿にしては広い部屋だった。棚の上に小さな子熊、グレズリーという魔物の人形が置いてある。もふぁもふぁとした毛に覆われていてとても可愛い。
「息子さんのかな」
親切にしてくれた女将には息子がいるといっていた。年齢は、ラフェンツより少し上ぐらいの年だと言っていたのを思い出す。
グレズリーはこの変では見かけない魔物だ。鈴を鳴らしながら歩けば警戒して近寄って来ないと言われるが、実物はラフェンツも見たことが無かった。グレズリーの子供もお母さんやお父さんと一緒にいるのだろうか。
ラフェンツは剣に結わえていた荷物の袋から、紙に包んでいた小さな木炭の欠片を取り出して床に屈みこんだ。歌いながら木炭黒い線を描き始める。
「小熊のグーたん、どこへ行く?
お腹を空かせてどこ帰る?
森の泉の側にある。
お母さんの所に帰ります」
描いた線の上を手で擦り、手はあっという間に真っ黒だ。まるで五、六歳の小さな子のようにお絵描きに夢中になっていく。手で擦った顔が真っ黒になるのも全く気にした様子はない。
「小熊のグーたん、どこへ行く?
泉の側には花畑。
お花を積みに歩いてく」
次第にただ黒いだけだった線は一つの絵としての輪郭を見せ始める。小さなグレズリーの子供が家の側の花畑で遊んでいる。その傍らには泉がありお父さんとお母さんらしき二匹のグレズリーがいる。微笑みながら空を見上げていた。
「小熊のグーたんどこへ行く……」
楽しそうに歌っていたラフェンツの声が止まる。
「ここ、どこ?」
ようやく我にかえって部屋を見回す。気がつくと棚を部屋の中央に移動させ、その上によじのぼって天井にまで絵を描いていた。
床一面の花畑。壁に描かれた小さな家、木に囲まれて水が沸き出す泉。
天上に描いた空を飛ぶ一羽の虹色の鳥。
黒で描いた世界なのにラフェンツの描いた絵はまるでいきいきと確かに色づいて見えた。
見た事のある風景。
ふっと自分が暮らしていた村を思い出すが、木に囲まれてはいたもの泉の近くに花畑は無かった。
自分の描いた母親グレズリーと父親グレズリーを見ていて、ラフェンツの瞳から涙がこぼれ出した。
「あれ……」
知っている気がした。この後待ちうける悲劇を。
この幸せな二人は、突如として引き裂かれることになる。幸せは一気に奈落へ……お腹にいる子供は一人残されることになる。
反対の壁に描いた小熊はお母さんとお父さんのいるこの場にはいない。そう、本当ならまだ産まれているはずなどないのだ。この時はまだ――
「どうして」
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