番外編

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名前は忘れたのに、別れ際のことはよく憶えている。 当時愛想よくしていたのは店の上客だったからなのに、私が惚れ込んでると信じ切っていて、しつこくつきまとってきた。 別れを切り出した時の、ぞっとするくらいの着信とメールの量を思い出し、急にまわりのざわめきが遠くなる。 「あ、あの。私ちょっとお手洗いに行ってきます」 メニューに夢中であまり聞いていない山梨さんに言い、私は鞄をつかんで逃げるように席を立った。 店の外に出て、真っ黒の引き戸を振り返ると、それだけで寒気がした。 「なんでこんなところにいるのよ…」 信じられないけど、どう見ても名前を忘れたあの男は従業員のようだし、店に戻れば気付かれるのも時間の問題だ。 かといって、山梨さんはきっとしばらくここを楽しむはずだから、戻らないわけにもいかない。 その時、真後ろで引き戸があく音がした。 びくっとして振り返ると、うろんな目の朔がこちらを見ている。 「なんで外にいるの。というか、なんで急に様子がおかしくなるの」 朔は私の前に立ち、ため息まじりに言う。 席を立つ時、多少取り乱したとは思ったけど、隠せる範囲だったと思っていた。 「……ちょっとね」 言いたくない私がそっぽを向くと、朔がため息をついて、もう一度店のほうを見た。
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