ー Undercover ー

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  静かに自嘲しながら、奏真はポツリとこぼした。本当に、この人には敵わない。新庄の顔を見上げて、奏真は本心を悟られないよう取り繕う事を諦めた。どんなに隠したところで、やたら頭のキレるこの人には簡単に見破られてしまう。  初めて新庄に会ったのは男子寮の入寮式。小学校を卒業した後、難関校として知られる大学付属の中・高一貫教育校に入学して寮生活を始めた奏真にとって、親元を離れた暮らしはとても心細いものだった。そんな寮生活の中で何かと面倒を見、支えになってくれたのが当時高等部3年で寮長だった新庄だ。  小学校をやっと卒業したばかりの奏真にとって、高3の新庄は頼もしい先輩だった。やや女にだらしない所はあるが、成績は常にトップクラス。面倒見のいい兄貴肌で、後輩だけでなく寮生皆に慕われていた。さすがに職場まで同じになるとは思わなかったが、以来かれこれ16年間、今は上司と部下として変わらない付き合いを続けている。故に、何もかも全部知り尽くしたこの先輩には、嘘・誤魔化し・隠し事の類は一切通用しないのだ。 「なぁ、ソウマ」  一方歩み寄った新庄が、弟を元気づける兄のようなさり気なさで奏真の肩に手を乗せた。柔らかい微笑を添えて、言い聞かせるように諭す。 「あんま考えるな。特別な事はしなくていい、普段通りのお前でいいんだよ」 「けど俺、身分を偽ってもすぐにボロが出そうで…」  新庄が大声で笑った。   「確かにお前、嘘つくのヘタだからなぁ。別人を装うアンダーカバーには向いてないな。けどまぁ、そこを何とか頑張ってくれよ。警察の威信をかけた今回の件で、潜入捜査官にお前を任命したの、オレなんだから」 「えっ!? 先輩が俺を!?」 「そうよ~」  ふと見れば、優しげだった新庄の笑顔は、いつの間にか意地悪そうな冷笑に変わっている。いいカモを見つけたヤンキーみたいにニヤつくと、鼻息が当たる距離までぬぅっと顔を近づけてきた。 「サイバー犯罪課、検挙率トップの実力を見込んで、オレが任命したんだからよろしく頼むよ。今更イヤとは言わないよな?」 「先輩、顔近いです…」  廊下を歩く通行人の視線が突き刺さる。そりゃそうだ。男が二人、超至近距離で話し込んでいれば変な目で見られもする。それに気づいてないのか敢えて無視しているのか、更に一歩、二歩と距離を縮めてにじり寄ってくる新庄から、奏真は逃げるように背筋を反らせて訴えた。 「俺はただ、潜入捜査は経験のある人に…」 「あら? お前、このオレの頼みを断るんだ?」 「いえ、そんなつもりは…」  ゆっくりと詰め寄る先輩と同じ歩調で、奏真は一歩、二歩と足を後退させた。だがそれも四歩が限界。冷たい壁に背中を押し止められる。瞬時に伸びた新庄の片手が、逃げ道をふさぐように壁をドンと叩いた。 「あ~そ~、断るんだぁ。へ~…小学校卒業したての12歳で、ピッカピカの中一だったお前を、寮に入ってから親切に世話したのは誰だっけ?」 「し、新庄先輩です…」 「だよなぁ? 体の仕組みがわからんお子ちゃまで、『朝起きたらアソコが腫れて白尿が出てたんですぅ!』って泣き入れてきたお前に正しい性教育の知識を…」 「あああああッー!!」  通行人がビクつくほどの大声だったが、声量に頓着する余裕など奏真にはなかった。空気に残る言葉の余韻を両手で必死に振り払いながら、底意地悪そうな笑顔に唾を飛ばす。 「ややややめて下さいよッ! こんな所でそんな昔話すんの!!」 「だってホントの事だろう? ウブかったもんなぁ、お前。まだあるぞ? 風呂入るたびに『俺だけ形が違うぅ』ってヘコんでたお前の息子を、優しく剥いて男にしてやったのはオレで…」 「わかったッ、わかりました! やります! 光栄です! 潜入捜査頑張ります!!」 「おおっ、頼もしいねぇ~」  男子寮での苦い洗礼経験を面白そうに語る元寮長を前に、奏真はガックリと首を折って項垂れた。お願いだから本当に勘弁してほしい。バカが付くほど純粋だった中一の自分を呪いつつ、奏真は人の恥ずかしい経験を人質に反論を封じ込めた狡い先輩を恨めしく見上げた。かなりトゲのあるその視線にも、怯むどころか一層満足そうな笑顔を浮かべているあたり、抵抗・反抗の類はS気の強いこの鬼上司を悦ばせる愛撫にしかならないらしい。 「こんなに快く引き受けてくれて、オレもほんと嬉しいよ」  ポンポン肩を叩きながら、新庄が不気味な笑顔に棒読みの激励を添えた。 「期待してるぞ三堂巡査長ぉ。よっ、警視庁の希望の星~」 「輝く前に消滅しそうですよ…」 
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