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ライリーの言葉を聞いた途端、青年の顔が露骨に歪んだ。いかにも面倒臭そうに、重たい溜息をつく。
「冗談じゃない。僕、出張から帰ってきたばっかりなんだよ? 今は休暇中なの。悪いけど他あたって」
「なぁにが出張だ」
呆れ気味に呟いて、ライリーが大きな鼻をふんっと鳴らした。
「散々恋人と遊んできたくせに、出張もへったくれもあるか。お前のはバカンスだろ」
「は? 恋人って誰?」
「電話で言ってただろ。ロンドンで知り合った仔猫がどうのって……」
「エリザベスのこと? それともマイケル? ジョン? マリア? テレサ? ウイリアム……あ~ごめん、たくさん心当たりがありすぎて誰の事かわかんないや。ハハハっ」
心底呆れているらしい古い友に、青年はあっけらかんと笑ってみせた。彼らはベッドタイムを共に楽しむ大事なパートナー。別に、もてあそんでいるわけじゃ決してない。単に本気で付き合ってないだけだ。
「――お待たせしました」
「ありがとう」
可愛い笑顔でコーヒーを運んできたウェイトレスの胸元に、青年はマジシャン並みの素早さで100ドル札を差し込んだ。お礼のキスと同時に香った彼女の香水は安物だったが、ティーカップから立つ焙煎豆の香りは悪くない。一口すすると、芳醇な苦みと爽やかな甘みが口中に広がる。ニューヨークで一番のコーヒー店と言われるだけあって、さすがに美味い。
「僕さぁ、ロンドンでちょっと派手にお仕事しすぎちゃって、今ヤバイんだよね。だからしばらく控えめな生活しようと思ってんの」
「まぁ、とにかく聞けよ」
物事にドライなライリーにしては珍しく引き下がらなかった。胸ポケットから写真を一枚取り出すと、カップの横にそっと滑らせた。
証明写真だろうか、冴えない50前後の眼鏡オヤジが精気のない顔で写っていた。収まりの悪い白毛混じりの金髪に、虚ろな青い目。頬はこけて、目の下にはクマができている。
ライリーが写真をあごでしゃくった。
「彼はダニエル・コーディ。ブラックスター社の社員で、今は失踪中なんだが……」
「まさか、彼を探すってのが今度のミッションなの? 人探しは僕の専門外。君も知ってるだろ」
「ああ、もちろんわかってる」
青年の態度は頑なだったが、ライリーは動じなかった。53年の人生経験から、交渉に焦りは禁物だと熟知しているらしい。声のトーンを落とすと、いかにも些細な事といったふうに告げる。
「ターゲットはダニエルじゃなくて、彼が作ったの“高級ワイン”の方だ」
「ふ~ん、“高級ワイン”ねぇ……IT関係なら君の専門じゃないか。僕も人並み以上の腕はあるけど、君には敵わないさ。僕より君の方が適任だろう」
そうなんだが、と前置きしてから、ライリーはためらいがちに切り出した。
「今回の件、実は少し複雑でなぁ。“高級ワイン”は今、ブラックスター社とは別の所にあるんだ。オレもそこの“ワインセラー”を見てみたが、ありゃダメだ。とんでもない化け物セキュリティが入ってやがる。外部からは侵入できん」
青年は小さくわらった。
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