ー Undercover ー

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 ニヤケ顔の久保が、パソコン越しに聞いてきた。この質問、そのうち来ると覚悟はしていたけれど、正直今は答えたくない。が、この後輩が小バエ並みにしつこい事は十分知っている。仕方なく、奏真は重たい口をこじ開けた。 「どんなって、普通だよ。4つ年下で、甘え上手で、料理も上手くて、可愛い子だった」 「へぇ~、甘え上手な年下の…え? だった?」 「そう」 「過去形?」 「そう」 「別れたんスか?」 「ああ、今朝な」 「けさぁぁぁぁぁ!?」    ムンクの叫びみたいな顔で久保が叫んだ。瞬間、同僚達の憐れんだ視線がまたこちらに集中する。それに内心うんざりしながらも、表情を変えず奏真は平然と答えてみせた。 「バスから降りたら電話がきて、『仕事ばかりで私をないがしろにする人とは、これ以上付き合えない』って言われたんだ」 「あちゃ~、キツイっスね~」 「彼女の言い分はもっともだと思うよ。こんな仕事だから、会う時間も十分に作ってあげられないし、休日にも呼び出されるし、彼女にしてみりゃ、仕事の方が大事かよって思うだろ」 「センパイ…」 「大丈夫。俺、こういう理由でフラれるの慣れてるから」  冗談めかしてそう答えると、奏真はパソコン画面を監視モードに切り替えた。空いている左手で、制服の襟ボタンをもう一つ外す。窮屈なのは変わりないが、襟の幅を広げた分だけ少し呼吸が楽になった。  水色のYシャツに濃紺のズボン。なんとも質素でお世辞にも着心地が良いとは言えない代物だが、袖の黒いワッペンに金糸で刺繍された桜の紋章は、揺るぎない国家権力と法への忠誠、そして絶対的な正義の象徴だ。  もっとも制服でも着てなければ、29歳にして未だ大学生に間違われる事もある奏真を、一発で警察官だと見破るのは難しいだろう。  決して童顔というわけではなく、面長の輪郭にバランス良く収まる目鼻立ちと、薄い桃色の唇が程よく調和した顔に、耳の辺りで切り揃えられた黒髪が清潔感を引き立てる容姿は、いい男と言っても決して誇張ではない。  身長だって178センチもあれば長身の部類に入るし、筋トレ効果で細身ながらも均整のとれた筋肉質。それに階級こそまだ巡査長だが、捜査が難しいこの部署で検挙率トップを誇る若手のホープだ。  これだけ揃えば、普通は頼もしく精悍な好青年に見えるはずなのだが、必要以上に若く思われるのは、奏真の気さくな雰囲気と人のいい性格の所為かもしれない。 「けど、センパイはすごいっスね」  珍しく神妙な面持ちで久保が言う。 「こんなに辛い事があったのに、普通に仕事できるんスから、神経太いっスね」 「落ち込んだって仕方ないだろ。刑事辞めるつもりもないし、これが俺の生き方だから」  気を使ってくれているらしい後輩に、奏真は笑顔で返した。あまり心配させないよう明るく振る舞いながら、軽快に笑い返す。 「まぁ、次に誰かと付き合う時は、もっと一緒に過ごせる時間を作るようにするよ。次はいつになるかなぁ、ハハハっ」 「大丈夫っスよ。三堂センパイはイイ人だから、すぐにまた彼女できますって」 「おう、ありがとな」 「そもそもセンパイは働き過ぎなんスよぉ。残業や休日出勤もほどほどに。ね?」 「…働き過ぎって…久保ぉぉぉ…!」    頑張って作った笑顔が引きつった。能天気な茶髪頭に一発食らわせてやりたい衝動を必死に抑えながら、奏真は対面のドヤ顔を睨みつけた。 「お前が言うなッ、一体誰の所為で残業や休日出勤するハメになったと思ってんだッ」 「え? ボクなんかしたっスかぁ?」 「交通課宛の通知書を道路公団に誤送信して首都高を混乱させたのは誰だ!?」 「わっ、ボクです!」 「テロ対策会議の資料作成を前日までサボってたのは誰だ!?」 「あっ、ボクです!」 「間違ってピーポー君を1000個も発注したのは!?」 「ボクです! …あ、けっこうボク、やらかしちゃってますねぇ」  肩をすくめて、久保がペロっと舌を出した。ここが拳銃所持の特殊部隊じゃなくてホントに良かった。奏真は心底そう思った。もし今手元に銃があったら、間違いなく撃っている。 「それにしても課長遅いっスね~」  憎らしいほど呑気な久保の頭に想像の中で一発撃ち込んでから、奏真はモニターの上のアナログ時計を見上げた。時刻は9時6分。この時間に課長が不在なのは珍しい。 「そういえば田辺課長、どこ行ったんだ?」 「さあ、それが朝、急に上から呼び出されたみたいで…」  久保が何やら訳ありっぽい口調で説明し始めたとき、 「――遅くなってすまん。全員いるな?」  渋い声が騒がしい部屋の空気を一気に冷やした。倉本が発した起立の号令と同時に、全員が寸分の狂いもなく一斉に立ち上がる。巨大モニターの前に悠然と立ったのは、奏真の上司にしてこの部署を率いる田辺警部だ。  元捜査四課の敏腕刑事だった貫禄は未だ衰える事無く、ダークグレーのスーツにスキンヘッドという個性的な容姿は、そこらのヤクザよりずっと極道の男っぽい。鋭い眼差しで室内の部下達を見渡す上司に向けて、倉本が「礼ッ」と声を張った。頷いた上司の無言の指示で、全員素早く着席する。 「さっそくだが、緊急会議を始める」  無表情のままそう切り出すと、田辺課長は巨大な液晶モニターの画面を棒で弾いた。次の瞬間、液晶モニター全面に映し出されていた50台の監視カメラ映像―――皇居や国会議事堂、各省庁や国道等に設置された防犯カメラ及びオービスの監視映像が、瞬時に2分の1サイズに縮小され、左画面半分に集約される。  暗転した右側画面に、桜のエンブレムと共にMPD―――Metropolitan Police Department の文字が浮かび上がった。  
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