ー Undercover ー

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 MPD・Cyber Crime Division―――警視庁・サイバー犯罪課。  地上12階に拠点を構えるここは、急速に拡大したネット世界で頻発する重大犯罪を取り締まる為、2000年以降に新設された特別捜査機関だ。匿名性が高く、世界中と繋がっている広大なネット社会は、特殊詐欺や性犯罪、殺人教唆・麻薬取引から銃器密売まで多種多様な犯罪であふれ、反社会的勢力へ流れる非合法商売の温床となっている。  このサイバー犯罪課は、それらの重大犯罪に対処する他、要警護対象施設のシステム警備と監視から有害サイトの摘発まで、実に幅広く対応する忙しい部署。なのに分析班と捜査班に合わせて8人しかいないのは、他と比べて配属条件が厳しい為だろう。  奏真を含め、ここいる全員が特殊技能を有した特別捜査官だ。もちろん、上司が睨みを利かす緊張感の中で、あくびをしながら目を擦っている茶髪の新人も例外ではない。特別捜査官どころか、社会人にすら見えないけれど。 「これから事件の詳細を説明する。全員、モニターを見てくれ」  田辺課長の声に耳を傾けながら、奏真はモニターの右画面に視線を向けた。エンブレムが消滅したすぐ後に表示されたのは、取り扱う事件の概要をまとめたレジュメ。事件発生日時、被害者、事件の内容と順を追って課長が解説を始める。 「事件が起きたのは1週間前、今月14日の未明。ジャパン・インフォメーション・テクニカル本社がサイバー攻撃を受け、一時全システムがダウンしたとの被害届が本日警視庁に出された。サイバー攻撃の発信元、及び個人的犯行か組織的な犯行かなど、詳細はまだわかっていない」  口早に説明する田辺課長の言葉を耳で受け止めつつ、奏真は手帳にペンを走らせた。事件のポイントだけを抜き取り、見やすいようにまとめていく。ふと視線をモニターに戻した時には既に、画面には高層ビルの写真が2枚と何かの図面が映っていた。 「これはJIT社のシステム回路図だ。見てわかるように、JIT社には2つのビルがある。1つは20階建ての本社、その裏に10階建ての開発・実験用の研究棟だ。幸い研究棟と本社のシステムはそれぞれ独立していた為、大きな被害は受けずに済んだそうだが…」  一呼吸おいて、ファイルの資料を見ながら課長が途切れた言葉を繋いだ。 「報告によると、JIT社の管理部がシステムを復旧させて本社・研究棟共に総点検を行った際、ある『プログラム』を保管している研究棟のコンピューターシステムに、何者かが不正アクセスした痕跡を発見したそうだ。不正アクセスが行われたのは今月10日。つまり、サイバー攻撃の4日前という事になる。JIT社がこの不正アクセスに関して調査したところ、社内の回線が使われていたらしく…」 「カチョーっ、質問していいっスかぁ?」  何とも気の抜けた声が、課長の説明を遮った。さっきまで眠たげに目をショボつかせていた久保が、いつの間にか活力を取り戻し勢いよく手を挙げた。高校生にしか見えない童顔に不敵な笑みを張り付けて、自信たっぷりに胸を張っている。  奏真は心底感心した。この緊張感の中で、暴力団の親分みたいな課長の話の腰をへし折れるのは、屈強な警察官が集まる警視庁の中でも久保ぐらいなものだろう。そんな勇気、自分にはない。 「なんだ久保、言ってみろ」  触ったら切れそうな田辺課長の視線が、能天気な新人の童顔を鋭く射貫く。だが、場の雰囲気に鈍感な茶髪の後輩は、肉食獣めいた上司の眼にも怯まなかった。あたかも教師に問いかける生徒みたいなノリで、モニター前の上司に投げかける。 「不正アクセスには、社内回線が使われてたんスよね?」 「ああ」 「だったらもう、犯人見つけたようなモンじゃないっスか!」  ふわふわの茶髪の下にドヤ顔を浮かべて、久保が鼻の穴を膨らませた。 「社内回線が使用されたんなら、サーバーを確認しちゃえば一発で犯人が見つかるじゃないっスかぁ。いつ、誰が、どのパソコンから何をしたのか、ぜ~んぶサーバーに履歴が残ってるんだから」 「そんなもん、お前に言われなくてもJIT社がとっくにやった」  アイドルのファンサービスみたいに久保が飛ばしたウィンクを、眉一つ動かさず田辺課長が鼻息で叩き落した。返事の真意を読み取れないようで、久保が「へ?」と首を傾げている。溜息を一つ溢して、奏真は遠慮がちに割り込んだ。 「久保、お前ちょっと黙っとけ。課長…」  瞬時に向けられた硬質な眼に対し、奏真は精一杯の敬意をこめて述べた。
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