ー Undercover ー

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「サーバーを確認したのに犯人が特定できないって事は、"ゴースト・ユーザー"の犯行、というわけですね」 「そうだ。三堂が言ったように会社がサーバーを確認したところ、ハッキングに使われた社員IDと端末IDは退職者の物だったそうだ」  課長の言葉に続いたのは、それまで沈黙していた最年長刑事の溜息だった。 「おいおい、こりゃ大変だぞ」  倉本に同調するかのように、その向かいで腕を組んだ杉谷が表情を強張らせる。が、経験の浅い新人には父親程も年の離れた同僚の危惧は理解できなかったらしい。 「そうっスかぁ? 倉さんが言う程、大きな案件じゃない気がしますけど。ハッキング事件なんて、しょっちゅう捜査してんじゃないっスか」 「お子ちゃまの頭じゃ、まだピンとこねぇみてぇだなぁ」  やれやれと言いたげな息をつくと、最年長刑事は窓辺にいる唯一の女性捜査官を見やった。まるで娘を見守る父のように優しい眼差しを向けて問いかける。 「ルリちゃんよぉ、すまねぇが久保のバカにちょいと説明してやってくれねぇか」 「説明も何も、話そのままですが…」  少し困った顔をしながらも、女性捜査官は大先輩の要請を無下に断ったりしなかった。素朴な可愛さのある丸顔に丸い眼鏡とポニーテール。見た目は女子大生と言っても通る程に若々しいが、年は奏真の3つ上。これでも凄腕の情報分析官だ。  クラスの優等生よろしく眼鏡の端をクイっと上げると、年に関係なく誰にでも敬語で話す羽田は、壁際デスクの新人に向けて口早に告げた。 「今回の事件は『サイバー攻撃』と内部犯行による研究棟の『ハッキング事件』、そして"ゴースト・ユーザー"の犯行…つまり『なりすまし事案』の3つが、一カ所で同時多発的に起こるという極めて稀な"重複型サイバー犯罪"という事です。こんなの前例がありません…」  重たい沈黙が床に沈んだ。重大性がようやく理解できたらしい久保の表情から、軽快さが削げ落ちる。事実、羽田の言葉は決して大げさではなかった。サイバー攻撃だけでも重大事件として取り扱われるのに、ましてやそこに、ハッキングという犯罪が重なっただけでなく、捜査が難しい『なりすまし事件』まで発生したのだ。羽田の言う通り、一度に3つの事案が重なった例など過去にない。  しかし、特別捜査官を率いるリーダーの顔に焦りの色はなかった。重苦しい雰囲気を空咳で払いのけると、田辺課長は普段通り淡々とした口調で続けた。 「前例があろうとなかろうと、事件が起こった以上捜査して犯人を検挙するのが俺たちの仕事だ。いつも通り、皆気を引き締めて取り掛かってくれ。それじゃ、捜査の割り当てを言う」  田辺課長の視線が窓際を捕らえた。 「まずは分析班の石崎と島津はサイバー攻撃の発信元を突き止めてくれ。羽田と野々村はJIT本社のサーバーを徹底的に解析してハッキングの経緯を調べろ」  窓辺から「はいッ」と切れのある返事が上がる。同時に、野獣めいた眼が壁際に向けられた。 「次に捜査班、倉さんと杉さんはJIT本社の顧客・取り引き先の聞き込み。ハッキングは内部回線を使っているから、犯人は社員の誰かだ。JIT社が独自開発した『プログラム』が狙われた事を考えると、企業スパイがいるのかもしれない。そのスパイがハッキングに失敗した事で、仲間がサイバー攻撃を仕掛けた、というのが大筋の見方だ。該当しそうなライバル企業に探りを入れてくれ」 「田辺課長ぉ、一つ言っていいか?」  やや不遜な態度で課長に告げたのは、50代ベテランコンビの1人、杉谷だ。交番勤務から異例の出世を遂げた叩き上げ刑事は腕を組んだまま、気怠げに意見した。   「捜査方針に口出す気はねぇけどよ、企業スパイ探しにオレ達が動くのは筋違いじゃねぇか? 警察が一企業の知的財産保護に力貸すこたぁねぇ。探偵雇えって話だろ」 「杉の言う通りだぜ。そもそも課長よぉ、ハッキング事件つっても未遂だろ。被害もなかったんだし、そんなに気合入れる必要なくねぇか? ルリちゃん達がゴースト・ユーザーを割り出せば、そいつからハッキングとサイバー攻撃との関連性を調べりゃいいだろ」  ベテラン二人から正論で責められても、田辺課長は動じなかった。むしろ共感するように頷いて、微かに溜息をつく。 「実は、JIT社の社長夫人と副総監は大学時代の友人同士なんだそうだ。夫の会社に企業スパイが潜伏しているようだと、副総監に泣きついたらしい」 「かぁ~、副総監殿も男だねぇ」  呆れたように倉本が苦笑した。 「女の涙にほだされて、職権乱用ってか~」 「どんなやり取りがあったかは知らないが、日本を代表する大企業がダメージを受ければ、国の経済にも多大な影響が出る。それを防ぐのも警察の大事な役目というのが、副総監のお考えだ」 「ようは昔の女にイイ格好してぇだけだろ。まったく、たまったモンじゃねぇな」  年配刑事のボヤキを静かに受け止めながら、田辺課長が仕切り直した。 「納得できない部分もあるだろうが、よろしく頼む」 「わぁったよ。課長に頼まれちゃ仕方ねぇ」 「クソ、外回りは腰にくるんだよなぁ」 「それから久保」
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